拒絶審決取消訴訟における不服の対象
今月だされた中から、拒絶審決取消訴訟での不服の対象について、改めて考える機会のあった判決例を紹介します。
「半導体装置の製造方法事件」知財高裁判決例(平25(行ケ)第10334号)
A.事件の概要
今回の事件は、出願の係属段階が重要なので、係属段階ごとに経緯を辿ります。
原告は、下線部について不服があり、審決の取消理由として主張しています。
(1)出願段階
原告は、発明の名称を「半導体装置の製造方法」とする特許出願をした。
以下、特許庁に係属した原告の特許出願を本願という。
(2)審査段階
原告は、特許出願と同日に審査請求し、本願は審査に係属した。
原告は、最後の拒絶理由通知を受けたので、特許請求の範囲の補正をしたが、
補正却下されるとともに拒絶査定を受けた。
(3)審判段階(前置審査)
原告は、拒絶査定不服審判を請求し、本願は審判に係属した。
原告は、審判請求するとともに、特許請求の範囲及び明細書の補正(以下、併せて「本件補正」)をしたので、本願は前置審査に係属した。
なお、前置審査とは、通常、拒絶査定した審査官がなす審査で、審判の効率的な進行の観点から、審判の審理を行う前に、審査段階の経緯を熟知する審査官が審査する機会を設けた制度です(審査官が特許査定すれば、審判官の審理に移行することなく審判が終了します)。
本願は拒絶査定を覆すことができず特許査定にならなかったので、審査官は前置報告書を作成し特許庁長官に提出し、出願の前置審査の係属が解かれた(これを、「審査前置解除」といいます)。
(4)審判段階(審尋)
本願は審判の審尋に係属することとなった。
審判官は、本件補正を却下するとともに、「本件審判の請求は成り立たない」との審決をし、その謄本を、原告に送達した。
B.関係する請求項の内容
本件補正後の特許請求の範囲の請求項7に記載された発明(以下、「本願補正発明」)は以下のとおりです(補正部分には下線が付されています)。
今回は、補正の実体的内容には踏み込まないので、参考までに参照して下さい。
〔請求項7〕
「DRAM,フラッシュメモリ,マイクロプロセッサなどの半導体装置,または同一基板上に設けたDRAM,フラッシュメモリ,マイクロプロセッサを含む半導体装置を製造する方法であって,
半導体ウエハ上に絶縁膜または導電膜を含む皮膜を形成するステップと,
前記皮膜上にフォトレジスト膜を形成するステップと,
前記皮膜に形成する回路パターンのマスクを設計,作製するステップと,
前記フォトレジスト膜を露光するステップと,を含み,
前記マスクを設計,作製するステップは,被露光面とフォーカス合せのための校正用パターン,または転写パターンの結像位置合せのための校正用パターンの内の少なくとも一方の校正用パターンを含む回路パターンのマスクを設計,作製するステップであり,前記フォトレジスト膜を露光するステップは,前記マスクを縮小投影露光装置の所定の箇所に配置するステップと,
露光光が高屈折率の透明媒体からなるウエハカバーを透過してフォトレジスト膜を露光可能とし,前記透明媒体が液体であって均一厚さとする条件と,解像度が向上する透明媒体厚さの条件とを満たすウエハカバーを半導体ウエハ上に設けると共に,前記半導体ウエハを縮小投影露光装置の所定の箇所に配置するステップと,
前記校正用パターンの透過光を利用して,露光光が前記ウエハカバーを透過させることに起因する前記縮小投影露光装置の投影レンズのフォーカス位置ズレ,または光軸との直交面上の結像位置ズレの少なくとも一方を校正するステップと,
透明な液体からなるウエハカバーを透過した露光光により,前記フォトレジスト膜を露光するステップであり,
露光後前記ウエハカバーを除去し,フォトレジスト膜を現像することによって半導体ウエハ上に回路パターンを形成することを特徴とする半導体装置の製造方法。」
C.審決の理由
審決の理由は、ざっくりと、以下の3つです。
① 本件補正は、明細書等に記載のない新規事項を追加している(即ち、明細書等に根拠のない補正がなされている)ので、補正要件違反であるから却下すべきである。
② 本件補正は、本件補正後の本願補正発明が進歩性を有さず特許を受けることができないため、補正要件違反であるから却下すべきである。
③ 上記補正却下により本願発明は、補正前の内容となり、進歩性を有さないため、特許を受けることができない。
以上の3つの理由を、裁判所は以下のようにまとめています。
「①本件補正は,願書に最初に添付された明細書,特許請求の範囲又は図面に記載した範囲内においてしたものとはいえないから,特許法17条の2第3項の規定に違反するので,却下すべきである,
②本件補正は,特許請求の範囲の減縮を目的とする補正に当たるところ,本願補正発明は,・・・,特許法29条2項の規定により特許出願の際独立して特許を受けることができないものであるから,本件補正は,・・・改正前の特許法17条の2第5項において準用する同法126条5項の規定に違反するので,却下すべきものである,そして,
③本願発明は,本願補正発明の限定事項を省いたものであるから,本願発明も,引用発明及び周知技術に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであり,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない」
D.原告の主張する取消理由
(1)取消理由1:前置報告書の認定の誤り
(2)取消理由2:最後の拒絶理由通知の認定の誤り
(3)取消理由3:本件補正却下の判断の誤り
拒絶審決取消訴訟は、特許庁の審判段階における手続の不服に対して提起されるものですが、原告は、審査段階における手続に対する不服(取消理由2)と前置審査段階における手続に対する不服(取消理由1)を主張しています。
このような原告の主張を裁判所がどう判断したか、です。
E.裁判所の判断
裁判所は、
「当裁判所は,原告の主張する取消事由はいずれも理由がなく,審決に取り消すべき違法はないと判断する。」
として原告の主張を退けた上で、その理由を以下のように説明しています(筆者が適宜改行し、下線を付しました)。
E-1.原告主張の取消事由1(前置報告書の認定の誤り)について
「原告は,前置報告書の・・・認定は誤りであるところ,審決は前置報告書が正しいということを前提としたものであるから,審決も誤っている旨主張する。
(1) しかし,審決取消訴訟において,審理の対象となるのは,審決の違法性であるところ,前置報告書の内容の違法性は,審決が違法となる理由には当たらないから,原告の主張は失当である。
(2) また,原告の主張を,審決の判断内容の誤りをいうものであると解したとしても,上記1の認定事実のとおり,審決においては,前置報告書記載の内容とは異なり,引用文献5・・・ではなく,引用例・・・記載の発明を引用発明として認定して,かつ,請求項1ではなく,本件補正による補正後及び補正前の請求項7に係る発明を対象とする判断をしているのであって,審決の判断内容は,前置報告書記載の内容を前提としたものではない。
したがって,仮に前置報告書に記載された内容が誤っているとしても,審決の内容が誤っているということはできず,審決が違法となるものではないから,原告の主張は理由がない。
(3) なお,仮に原告の主張が審判手続の違法をいうものであると解したとしても,前置報告とは,拒絶査定不服審判請求と同時に補正があったときに,審査官がその請求を審査し・・・,拒絶査定を取り消す場合を除いて,その審査の結果を特許庁長官にする報告・・・である。
そして,審判手続においては,前置報告の内容に対する意見陳述の機会を与えるため,審判長が審判請求人(出願人)に対して,前置報告の内容を審尋・・・により送付するという運用が行われているものであり,
前置報告の内容が正しいことが審判手続の前提となっているものではない。そうすると,
仮に前置報告の内容が誤っているとしても,そのことをもって審判手続に何らかの瑕疵があるということもできない。
(4) したがって,取消事由1についての原告の主張を採用することはできない。」
E-2.原告主張の取消事由2(最後の拒絶理由通知の認定の誤り)について
「(1) 原告は,最後の拒絶理由通知は,
①・・・と記載した点,②・・・と指摘した点,③・・・と記載した点,④・・・と記載した点で誤っており,したがって,審決も誤っている旨主張する。
ア しかし,・・・審決取消訴訟において,審理の対象となるのは,審決の違法性であるところ,最後の拒絶理由通知の内容の誤り自体は,審決が違法となる理由には当たらないから,原告の主張は失当である。」
「また,原告の主張を,審決の判断内容の誤りをいうものと解したとしても,・・・審決においては,本件補正前の請求項7(本願発明)及び本件補正後の請求項7(本願補正発明)についての判断がされているところ,原告の主張する上記①,③又は④の記載に係る構成要件は,いずれも本願発明又は本願補正発明の特許請求の範囲に含まれていないから(このことは,原告の主張自体からも明らかである。),上記①,③又は④についての最後の拒絶理由通知の記載内容は,審決の判断内容の前提となっているものではない。
また,審決は,最後の拒絶理由通知とは異なり,特許法36条6項2号違反を理由として特許を受けることができないと判断しているものでもないから,上記②についての最後の拒絶理由通知の指摘も,審決の判断内容となっているものではない。
したがって,仮に最後の拒絶理由通知の上記①ないし④の記載が誤っているとしても,そのことをもって審決の内容が誤っているということはできず,審決が違法となるものではないから,原告の主張は理由がない。」
「(2) 原告は,請求項7について拒絶理由があるとしても,その他の請求項についての拒絶理由が根拠がないものである以上,最後の拒絶理由通知には重大な瑕疵があると主張する。
しかし,・・・,拒絶査定又は審決において拒絶理由があると判断された請求項以外の請求項に係る発明について,拒絶理由通知における拒絶理由が根拠を欠くものであるとしても,そのことをもって拒絶理由通知が違法となるものではなく,審判手続に審決を取り消すべき瑕疵があるということはできない・・・。したがって,原告の主張は理由がない。」
E-3.原告主張の取消事由3(本件補正却下の判断の誤り)について
上記E-1及びE-2について、裁判所は出願審査の制度設計の観点から形式的に原告の主張を退けていますが、本件補正却下の判断の誤りについては、一部、本願明細書の記載に立ち返って実体的な判断をしています。
「(1) 補正却下理由1(新規事項に当たるとの認定)の誤りについて
原告は,本件補正は,当業者にとって本件明細書の図4から自明の事項であるから,新規事項の追加には当たらないと主張する。」
この原告の主張は、審判官による、本件補正が明細書等に記載のない事項を追加している(即ち、明細書等に根拠のない補正がなされている)という判断に対して、
明細書等に記載はなくても、当業者がこの明細書等を読めば記載されているに等しいことである、と言おうとしています。
この原告の主張に対して、裁判所は以下のように判断します。
「図4によれば,・・・となっていることを理解することができる。
しかし,図4の実験結果は,・・・という記載がされている・・・。
このような記載は,図4のグラフから読み取れる内容と矛盾するものであるから,本件明細書全体の記載をみた当業者が,・・・図4の実験結果について,直ちに,・・・と理解できるものとは認められない。
・・・したがって,本件明細書についての補正は,図4から自明の事項であるとの原告の主張を採用することはできず,本件補正は,特許法17条の2第3項に違反するとして,これを却下した審決の結論が誤っているとは認められない。」
裁判所は、「(2)補正却下理由2(請求の範囲の減縮を目的とする補正に該当するとの認定)の誤りについて」の方は、上記(1)で、本件補正が、補正要件違反で違法であることが結論されたので「その余の点について判断するまでもなく,本件補正を却下した審決の結論に誤りがあるとはいえない」として、実体的な検討をしませんでした。
そして最後に以下の結論で締めくくりました。
E-4.結論
「以上のとおり,原告主張の取消事由はいずれも理由がなく,審決には取り消すべき違法があるとは認められない。原告はその他縷々主張するが,いずれも採用の限りではない。よって,原告の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。」
F.教訓
F-1.弁理士にとって
本事件に関する出願は、特許庁への応答を、審査段階から、弁理士を代理人として介さずに、発明者が全て行っており、審決取消訴訟も代理人をつけずに原告自らが対応されているようです。
拒絶審決取消訴訟において、弁理士が代理して手続をした場合、前置報告書及び最後の拒絶理由通知に対する不服を主張することはないと思います。
しかし、審判請求人(出願人)が、審査前置解除後に、上申書の提出等の対応を何ら行わないと、出願が審尋に係属して審判官が審理しても、前置報告書と同趣旨の審決がなされることが少なくないため、前置審査があたかも審尋の一部であるような錯覚に陥ることがあり、審判請求書の内容等にその混乱が反映されることがあります。
従って、本判決例のような極端な事例で、改めて、制度の趣旨を噛みしめることは、弁理士を始めとする知財実務に携わる専門家にとって無駄ではないと思います。
F-2.出願人にとって
本判決例の原告が、拒絶審決取消訴訟において、前置報告書や最後の拒絶理由通知に対して不服を主張するお気持ちは痛い程わかります。
しかし、発明を権利化するにおいて、
出願から審査(前置審査)にかけての段階では、新規性及び進歩性に対しては、発明者の技術的観点からの対応だけでも審査官が丁寧に取り扱ってくれる場合が少なくありませんが、補正要件の適否になると、法的観点からの対応が必要となり発明者の手に余る場合があり、
審判の段階に入ると、法的観点が前面にでてくることがあり、特許制度の熟知が不可欠となり、
拒絶審決取消訴訟の段階に入ると、技術的素養が発明者と全く異なる裁判官が判断主体となるため、発明者が考える技術的観点からの技術常識が容易には通じない場合が多くなり、法的観点からの対応が不可欠となります。
従って、拒絶審決取消訴訟の段階で、制度趣旨を十分に理解しないまま審理に臨めば、本判決例のように、実体的観点かからの検討がなされる前に、法的・制度的観点から、あたかも門前払いかのような取扱いを受けるリスクが高くなります。
出願人にとってばかりではなく、我国にとって貴重な知的財産となりうる発明を、コストと時間をかけて権利化するのですから、特に、個人・中小企業・ベンチャー系の出願人の皆様には、専門家である弁理士と組んで、権利化に臨まれることをお考えいただきたいと思います。
(以上)
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