「ソルダーレジスト事件」判決例と機械系分野の除くクレーム(その3)
Ⅲ.「ダイヤフラム弁事件」判決例(平23(行ケ)第10383号)
今回の記事は、そもそも、拒絶理由通知に対して「除くクレーム」とする補正が、機会系分野の発明では、ほとんど試みられていなかったところ、
「ソルダーレジスト事件」判決例(平18(行ケ)第10563号/知財高裁大合議判決)以降、機械系分野の弁理士で興味をもたれる方も出始めたようでしたので、関連する判決例を紹介したいなというのがそもそもの始まりでした。
本判決例は、「除くクレーム」の解釈や特許制度について重要な判示がなされている訳ではなく、機械系分野の方の除くクレームに対する感じ方が垣間見えるという点で、注意を引かれました。
A.事件の概要
原告は,
平成16年12月10日,名称を「ダイアフラム弁」とする発明につき特許出願をし,
平成21年7月23日,手続補正書を提出したが,
平成22年8月31日付けで拒絶査定を受けたので,
同年11月29日,不服の審判を請求するとともに,本件補正をした。
特許庁は,
平成23年10月11日付けで,本件補正を却下した上で,
「本件審判の請求は,成り立たない。」との拒絶審決をした。
本件は,拒絶審決の取消訴訟であり、主たる争点は,補正要件の有無である。
B.関係する請求項の内容
〔補正前請求項1〕
【請求項1】
ボディに形成された第1流路および第2流路の境に設けられた弁座に対し,
アクチュエータの駆動軸に連結されたダイアフラムを当接または離間させることにより,
前記第1流路と前記第2流路との間を閉鎖または開放するようにしたダイアフラム弁において,
前記ダイアフラムは,弁座に当接する弁体部と,弁体部から外側に広がった膜部と,膜部外周縁に形成された固定部とを有し,
前記膜部が,
前記弁体部に接続され鉛直方向に形成された鉛直部と,
前記固定部に接続され水平方向に形成された水平部と,
前記鉛直部と前記水平部とを接続するために断面円弧状に形成された接続部
とを備えることを特徴とするダイアフラム弁。
〔補正後請求項1〕
ボディに形成された第1流路および第2流路の境に設けられた弁座に対し,
アクチュエータの駆動軸に連結されたダイアフラムを当接または離間させることにより,
前記第1流路と前記第2流路との間を閉鎖または開放するようにしたダイアフラム弁において,
前記ダイアフラムは,弁座に当接する弁体部と,弁体部から外側に広がった膜部と,膜部外周縁に形成された固定部とを有し,
前記膜部が,
前記弁体部に接続され鉛直方向に形成された鉛直部と,
前記固定部に接続され水平方向に形成された水平部と,
前記鉛直部と前記水平部とを接続するために断面円弧状に形成された接続部とを備えること,
前記駆動軸の先端には,前記鉛直部および前記接続部に接触して前記膜部を受け止めるために前記ダイアフラムに一体化されたバックアップが設けられていること,
前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと,
を特徴とするダイアフラム弁。
(筆者注)下線部が、補正で追加された部分です。筆者が適宜改行しました。
C.審決の要点
審決は,上記補正について、
「本件補正は,当初明細書等に記載した事項の範囲内においてしたものとは認められない。」と判断し、その理由として、本件補正により追加された
「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」なる事項が、
「当業者に自明であるとも,当初明細書等に記載されていたに等しい事項であるともいえず,さらに,
当初明細書等のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるともいえない。
したがって,上記補正事項を含む本件補正は,当初明細書等に記載した事項の範囲内においてしたものとは認められない。」と説明しました。
D.原告(出願人)の主張
原告は取消事由1として本件補正却下の判断の誤りを指摘しています。
(1) 原告は、まず、出願時のダイアフラム弁に関する技術常識を説明します。即ち、
ダイアフラム弁には、ローリングダイアフラム弁とダイアフラム弁とが存在しており、
「ローリングダイアフラム弁は・・・,「膜部を反転させながら,弁の閉鎖または開放を行うこと」を特徴とするダイアフラム弁である。
通常のダイアフラム弁とは・・・,「膜部を反転させることなく,弁の閉鎖または開放を行うこと」を特徴とするダイアフラム弁である。
・・・ローリングダイアフラム弁と通常のダイアフラム弁とは,タイプを異にする弁装置であり,本件出願当時,当業者はそれを認識していた・・・。」と説明しました。
(2) 原告は、この後、機械系分野の当業者が抱く「除くクレーム」に対する感覚が垣間見える主張が続きます。
「原告は,ローリングダイアフラム弁である引用例・・・の不適格性について,
審査の過程において,審査官に対して幾度か主張を繰り返したが,審査官が聞き入れてくれなかったので,
拒絶査定不服審判請求時に,請求項1に,「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」という発明特定事項を加えて,ローリングダイアフラム弁を除外した。
化学系の発明では,「~を除く」形式のいわゆる「除くクレーム」の記載が認められているが,
機械系の発明では,「ローリングダイアフラム弁を除く」という文言は,一般的でなく,またふさわしくないと考え,
技術的意義において,ローリングダイアフラム弁を除外するために,
「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」という発明特定事項を加えたのである。
(3) ここでは、わざわざ「機械系の発明では,「ローリングダイアフラム弁を除く」という文言は,一般的でなく,またふさわしくない」と主張する必要はないように思えるのですが、この後の原告と被告のやりとりでは、被告(特許庁)も、原告が加えた事項が除くクレームで相当しているかのような扱いをしているような、していないような微妙な立場をとっています。
(4) 原告は、「除くクレーム」の代用事項を何故加えたかをさらに説明しています。
「本件出願の当初明細書は,ローリングダイアフラム弁を除く通常のダイアフラム弁についてのみ記載してあり,ローリングダイアフラム弁に関しては全く記載することなく,ローリングダイアフラム弁を発明の対象外としている。
なぜならば,本件出願の課題の前提である,「膜部を従来のダイアフラム弁の倍近く厚くしたとき」という想定がローリングダイアフラム弁では,あり得ない想定だからである。
原告は,この技術的意義に基づいて,本件補正において,「ローリングダイアフラム弁を除く」という意味で,請求項1に,「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」という発明特定事項を加えたのである。
したがって,「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」という発明特定事項は,引用例との対比において当業者が当然「ローリングダイアフラム弁を除く」と理解するはずであり,当初明細書に記載した事項の範囲内においてしたものである。」
E.被告(特許庁)の反論
(1) 被告である特許庁は、原告の主張に対して、「ローリングダイアフラム弁を除く」ということは、本件発明には出願時から「ローリングダイアフラム弁」が含まれていたということではないか、と非情にも鋭い指摘をしています。
特許庁の指摘は鋭いのですが、「除くクレーム」は、仮に除く対象が本願発明に含まれていたとしても、その部分は権利放棄する、という意味であるように思います。
とすれば、権利請求範囲を規定した請求項には、「除くクレーム」によって、除かれた対象は、補正の遡及効によって出願時から含まれていなかったと解すべきではないかと思います。
特許庁は、さらに、「ソルダーレジスト事件」以前の当時の「除くクレーム」の審査基準に基づいて、原告ななした補正を新規事項追加違反であると認定しました。
「原告は,・・・
「請求項1に,『前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと』という発明特定事項を加えて,ローリングダイアフラム弁を除外した」旨主張する。
してみると,ローリングダイアフラム弁である引用例・・・との対比において,それを除外するために,「ローリングダイアフラム弁を除く」という意味で,請求項1に,「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」という補正事項を加えたのであるから,本願発明は出願時から「ローリングダイアフラム弁を包含する」ものとなっていたことが明らかである。」
「そして,「ローリングダイアフラム弁を除く」ことは,
当初明細書等・・・に記載や示唆されておらず,その記載から,当業者に自明であるとも,記載されていたに等しい事項であるともいえないから,
当初明細書等のすべての記載を総合することにより導かれる技術事項との関係において,新たな技術事項を導入するものである。」
(2) 特許庁は、さらに、原告が「ローリングダイアフラム弁を除くクレーム」のつもりで追加した事項は、「ローリングダイアフラム弁を除くクレーム」と同義とはいえないと追及します。
「原告は,「『前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと』という発明特定事項を,『ローリングダイアフラム弁を除く』という意味で加えたとし,本件補正が当初明細書等に記載した事項の範囲内においてしたものである」旨主張する。
この主張は,「非ローリングダイアフラム弁を除くことなく,ローリングダイアフラム弁のみを除く」ことを意味するものと解される。
しかし,「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」と「ローリングダイアフラム弁を除く」こととは同義とはいえないから,原告の上記主張は失当である。
すなわち,ダイアフラム弁の技術分野において「反転」の用語は,非ローリングダイアフラム弁においても通常用いられており,非ローリングダイアフラム弁においても膜部を反転させ,閉鎖または開放を行うことは例えば,・・・にも示されているように,当業者にとって技術常識といえるものである。
そうすると,「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」という補正事項はローリングダイアフラム弁のみならず「非ローリングダイアフラム弁を除く」,すなわち原告が主張する通常のダイアフラム弁を除く,という意味も有することになる。」
(3) 特許庁は、原告が「除くクレーム」のつもりで追加した事項に対して、さらに、当時の「除くクレーム」の審査基準に基づく追及をします。
ここまで特許庁に追及されるのであれば、機械系分野でなくても、「除くクレーム」で発明を特定することには腰が引けてしまうというものです。
「ソルダーレジスト事件」判決例がでてつくづく良かったと思います。
「「膜部を反転する」とは,一般的なダイヤフラム弁の膜部の挙動を考慮すると,
「膜部をひっくりかえすこと」,または「膜部を反対の方向に向きかえること」という2つの解釈をし得るものである。
したがって,その技術的意義が一義的ではない。」
「原告は,「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」という補正事項の技術的意義は,「ローリングダイアフラム弁を除外すること」である旨主張しているが,当初明細書等には,その技術的意義である「ローリングダイアフラム弁を除外する」ことも記載や示唆はされていない。」
F.当裁判所の判断
裁判所は、原告が「除くクレーム」のつもりで追加した事項に対して、明細書の記載にもとづいてその意義を解釈して、新規事項追加違反ではないことを以下の流れで、判示します。
(1) 本件補正における「反転」の技術的意義について
「(1) 本件補正における「反転」は,「前記閉鎖または開放を行う」に際しての「前記膜部」の動きに関わるものであるから,ダイアフラム弁の膜部22・・・の挙動に関わるものと理解するのが自然である。
当初明細書等・・・には,かかる「膜部」の「反転」という挙動に関して明示的な記載はないが,以下の記載がある。」
「上記記載には,一貫して高圧流体の供給制御を行う場合に,弁体部と膜部との境界に応力集中が発生し劣化が急速に進むという問題への対処方法が述べられており,そのような問題が薄膜の反転動作を伴うローリングダイアフラム弁においても発生すると理解しうる記載はない。
そして,当初明細書には,本願発明の実施例として図1及び図2が,背景技術として図3が記載されており,いずれもローリングダイアフラム弁ではない通常のダイアフラム弁である。」
「(2) 本件審判請求書・・・には,以下の記載がある。」
「以上の記載からすると,審判請求書において原告は,
①「反転」とは,周知のように,膜部の一部が天地を逆転すること,との意味であること,
②ロールダイアフラム式ポペット弁は,薄膜の反転動作(ロール・非ロール動作)により開閉を行うのに対して,
通常のダイアフラム式ポペット弁は,そのような反転をさせることなく開閉を行うものであること,
③本願発明は,薄膜の反転動作(ロール・非ロール動作)により開閉を行うロールダイアフラム式ポペット弁とは異なるものであることを述べていることが理解できる。
(2) ダイアフラム弁の種類について
「一般に,「反転」とは,「・・・」という意味である(株式会社岩波書店,広辞苑第六版)。
また,本願発明の分野の技術常識についてみるに,審決が挙げた引用例・・・には,・・・実施例に基づく説明が記載された後,以下の記載がある。」
「上記記載によれば,・・・ダイヤフラム式ポペット弁体とは異なるロールダイヤフラム式ポペット弁体の存在は引用発明の前提とされており,ロールダイヤフラム式ポペット弁体自体は詳細に説明されていないことからすると,
ダイヤフラム弁の技術領域において,通常のダイヤフラム弁と,それとは異なり「ロール及び非ロール動作」を伴うローリングダイヤフラム弁とが存在することは,引用例が公開された・・・時点において,特段の説明を要しない技術常識であったことが理解できる。
(3) 本件補正の追加事項の構成の意味
「上記の「反転」の一般的意味及び技術常識に照らし,また,審判請求書における原告の主張を合わせると,
本件補正によって追加された「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」の構成は,
「膜部の一部が天地を逆転することがなく,具体的には,ロールダイアフラム式ポペット弁のような開閉時に薄膜のロール・非ロール動作を伴うことなく」との意味であることが明らかである。
(4) 本件審決の判断の当否
「以上によれば,「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」とは,ロールダイアフラム式ポペット弁のような開閉時に薄膜のロール・非ロール動作を伴うものではないものである,という程度の意味で膜部の一部で天地が逆転しないものであることと理解すべきであり,
係る事項を加えることは,当初明細書等のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものといえる。
したがって,本件補正が「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと,」という事項を加えることをもって,・・・改正前の特許法17条の2第3項の規定に適合しないとの審決の判断は誤りである。
この誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。
「以上によれば,原告主張の取消事由1には理由がある。よって,審決を取り消すこととして,主文のとおり判決する。」
G.「ダイヤフラム弁事件」判決例にみる機械系分野での除くクレームの取扱い
「ダイヤフラム弁事件」判決例において、原告が、何故
「機械系の発明では,「ローリングダイアフラム弁を除く」という文言は,一般的でなく,またふさわしくないと考え」るのか定かではなのですが、
原告がこのように主張することで、原告が追加した事項は、特許庁にも、裁判所にも、あたかも「除くクレーム」かのように取り扱われています。
そうであれば、最初から、気兼ねすることなく「除くクレーム」として記載して何の問題もなかったのではないでしょうか。
「ソルダーレジスト事件」判決例がでた現在では、むしろ、「除くクレーム」として記載した方が、審査段階で「ソルダーレジスト事件」判決例の判示を考慮した審査がなされるはずです(既に、審査基準に判示は反映されてもいます)ので、機械系分野であっても益多いように思うのです。
(以上)
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