えいがたびものがたり<3>・アルプスは招くよ!
文・写真: Mr. C.T
イタリア・フランス・スイス <2012年7月3日~11日>
山好きの私にとって今年は本格的山岳映画が多数公開されて、少しばかりワクワクしている。「K2初登頂の悪夢」「ビヨンド・ザ・エッジ~」「春を背負って」「クライマー・パタゴニアの彼方」「アンナブルナ南壁・7,400mの男たち」など、内容の完成度はともかく、雄大な山々をスクリーンの大画面で眺めているだけで大満足である。
古くは「アイガ―・サンクション」「クリフ・ハンガー」から、最近では「運命を分けたザイル」「アイガ―北壁」「ヒマラヤ運命の山」等、山を舞台にした映画は必ず見るようにしてきた。
世界の山への憧れを映画での疑似体験によって紛らわしてきたのである。
その中でもヨーロッパアルプスは、憧れ中の憧れであった。
カレンダーや絵葉書やテレビでしか見ることができなかったその絶景をこの目で確かめたい!もうこの願望は押さえきれない。
会社を辞めてから3年目、遂に長年の夢を実現することにした。
§§§
ツアーはベストシーズン、初心者向けトレッキングが3回組み込まれたコースに決めた。
お一人様は割高なので、相棒を探したがなかなか見つからない。
大出血覚悟でお一人様参加を決意していた時、自ら手を上げてくれたのは糖尿病で喘息持ちの69歳の旅友達A氏であった。
階段を数段上がるだけで、ぜいぜい喘ぐ人である。丁寧にお断りしたのだが、「C.T.さんの旅代節約のためなら」と切望されるので、なんとかなるだろうと楽観視することにした。
ドバイ経由でミラノに降り立ち、イタリア北部のアオスタ渓谷に向かった。
アオスタには円形劇場などローマ時代の遺跡が多数あった。
遠くにはイタリア・アルプスが白く輝いていて、早くも私の胸の鼓動は高鳴ってきた。
高く白い山を見るだけで、身体中にアドレナリンが大量分泌してくるのである。
気分良く散歩からホテルの部屋に戻ると、同室のA氏の顔が蒼ざめている。
持病の薬を全て忘れてきたと言う。朝昼晩の数種類の薬を8日分きちんと袋に分け入れて、そのままテーブルの上に置いたままになってしまったらしい。
自宅から薬を送ってもらっても何日かかるかわからないし、「このまま旅を続けるのは無理でしょう」と私は声を振り絞ってA氏に行った。
「いや、ここまで来て帰るわけにはいかない」と、A氏は決死の覚悟であった。
「いや~、倒れたりしてC.T.さんには迷惑かけたりしませんから」と逆に励まされたが、初日からとてつもない覚悟を抱えた旅となってしまった。
§§§
アオスタで一泊して翌日は、トンネルで国境を越えてフランスのシャモニーへ。
シャモニーは、1924年第1回冬季オリンピックが開催されたリゾート地である。今では登山の聖地からパラグライダーの聖地にもなっているらしい。確かにあちこちの山から色とりどりのパラグライダーが飛び立っていた。
ロープウェイを乗り継いで、エレベーターに乗り、3,842mのモンブランの展望台に着いた。
観光客は皆、元気よく笑いながら階段を上って行く。
一緒に階段を登りかけて、私は初めて自分の身体の異変に気がついた。
足が上がらないのである。
次第に心臓がバクバクし始めた。頭から血の気がス~ッと引いて行く気がした。
あ~、このまま意識を失って死んでしまうかも~と思った。でも、ここまで来てモンブランを見ずして死ぬわけにはいかぬ。朦朧としながらも私は、手すりを持ってゆっくりと階段を上がって行った。一歩ごとに3秒ぐらいかかり、スローモーション映画ようなの動きしかできない。
友人の制止も振り切って、らせん状の階段を登り切り、遂に私は、4,807mの雄姿をこの目におさめることができた。
雪混じりの強風が吹き荒れ、目の前は真っ白であったが、時たまガスの切れ間から頂上を拝むことができた。それは、まるで「ロード・オブ・ザ・リング」の天空に聳える尖塔のように、おどろおどろしい魔物に見えた。
足の感覚がなくなり、私はその場に蹲った。だんだん息苦しくなってくる。周りの外人観光客達が、心配そうに声をかけてくれる。階段の途中で一休みしていた友人がやっとたどり着いて、「一刻も早く降りた方がいい」と言った。とにかく時間をかけて息を吸い、ゆっくりと吐き出すことだけに集中した。立ち上がることができないので、友人の腰に手を当てながら、這うようにして乗り物を乗り継いで、下山した。ロープウェイ駅のベンチで、しばらくぐったりと横になっていた。
これが、高山病の初期症状なのかなと思った。頭痛も吐き気もなかったので、ましな方なのかもしれない。エレベーターで数百メートル一気に登って、気圧の変化に身体が追い付かなかったのだろう。退職後に始まった高血圧も影響しているのかな。でも富士山をはじめ日本の3,000m級の山を制覇してきた自分がなんで?70歳以上のお年寄りの観光客でさえ皆、元気そうだったのに……どうも合点がいかなかった。このままなら、ヒマラヤ、カナディアンロッキー、ニュージーランドアルプスのトレッキングは、夢のままで終わってしまうではないか!色々な不安が、頭を覆ってきた。
友人は、広場の向こうの薬局で喘息の薬を買い求めようと日本語とジェスチャーで奮闘していたが、結局ダメだった。やはり医師の処方箋が必要なのだろう。添乗員さんが、スイスなら大丈夫かもしれないとアドバイスしてくれた。30分ぐらいして、ようやく普通の呼吸ができるようになった。隣村のブラという小さな村に立ち寄った頃には気分は回復していた。
§§§
フランスを後にして、列車でスイスのツェルマットに到着した。
車をシャットアウトしたエコロジーの村である。移動手段は電気自動車のみ。
通りのお店の窓辺に飾られた鉢植えの花々がまず、目に飛び込んでくる。そして歩いている観光客は、ほとんど中国人か日本人ばかり。
私がホテルのベッドで少し休養している間に、A氏は薬局に足を走らせた。日本語だけで、喘息用の吸入ステロイド薬を買ってきた。彼の度胸には感心してしまう。糖尿病の薬はないけれど、喘息の薬を手に入れて少しホッとした様子である。
独仏伊の3カ国語が公用語のスイスである。この地方はドイツ語が主流であった。
地元のスーパーに行って、おみやげを物色することにした。ヨーロッパの物価は高いが、特にスイスは日本の1.5倍から2倍の価格で、値札を見るたびに目が点になってしまう。
とりあえず、チーズとチョコレートとハーブティーを大人買いしておいた。
料理は、まずまずといったところ。イギリス、ドイツよりはマシという程度である。
お目当てのマッタ―ホルンは、厚い雲に隠れたままだった。
翌朝、目覚めて窓の外を眺めると、澄み切った青空を背景に真っ白いマッタ―ホルンが「お早う」と出迎えてくれた。
これまで写真と頭の中の幻影に過ぎなかった鋭角ひねり三角形の凛々しい姿が、今、わが目の前に鎮座しているとは!
この感動は、一生忘れられない。窓からマッターホルンが見えたのは、どうやら私達の部屋だけだったらしい。
午前中は登山電車に乗って、3,130mのゴルナーグラ―ト展望台へ。4,000m級のアルプスの名峰群とゴルナー氷河の壮大な360度パノラマを堪能した後、マッターホルンを眺めながらのハイキング。約2時間の下りなので、A氏の足取りも軽くてホッとした。
午後からは自由時間。A氏はホテルで休むということなので、私はツェルマットを歩き回った。本来なら村の西端にあるシルトホン展望台に行きたかったのだが、あいにく午後から天気が下り坂で山頂は雲の中だったため,諦めることにした。
山頂の360度回転の展望レストラン「ビッツ・グロリア」は、「女王陛下の007」のアクションシーンで使われた場所である。
翌日は、スネガ展望台を経て、<逆さマッタ―ホルン>で有名な山上湖までフラワーハイキング。高山植物の色とりどりの花々と雄大なアルプスの景色に大興奮で、カメラのシャッターを切りっぱなしだった。特に憧れのエーデルワイスを見つけた時の喜びはひとしおだった。少しばかり登りが続くコースだったので、さすがにA氏も喘ぎながら、なんとか添乗員さんと共に最後尾でついて来ていた。
午後からはツェルマットを離れて、バスごと列車に乗るカートレインに乗ってウェンゲンへ。何十台もの車やトラックを載せた列車が、山上を走る光景は見ものだった。
山頂駅でバスは列車から降りて、なだらかな山並みとのどかな田園風景の中を走って行く。
こんもりとした丘陵地帯の斜面にはブドウ畑が延々と広がっていた。冷涼な気候のスイスでブドウが栽培されていたとは、驚きであった。
スイスの白ワインは、ドイツに次いで美味で有名らしい。少量しか生産されないので、国内でほぼ消費され、輸出はほとんどないらしい。夜のレストランで飲んでみたが、キリッとした辛口で、赤ワイン党の私でも惚れ惚れしそうな味だった。おみやげに6本買って、税関対策として3本はA氏のトランクに入れさせてもらうことにした。
ウェンゲンは小さな村だが、常にアイガ―、メンヒ、ユングフラウの三峰が望める絶好地である。ツェルマット2泊に続いて、このウェンゲンでゆったりと3連泊できるのが嬉しい。
宿は個人経営のペンション風建物で、家庭的で落ち着いた雰囲気である。部屋の窓からも雄大な三峰が見える。
翌朝は、ロープウェイでメンリッヘン展望台に登り、そこからはクライネシャイデックまで約2時間の絶景トレッキングであった。
アイガ―、ユングフラウを眺めながら、絵葉書のような光景が次々と目の前に広がって、今、この地に自分が立っている現実が信じられないくらいだった。
クライネシャイデック駅から、2012年に開通100周年のユングフラウ鉄道に乗り、標高3,454mのユングフラウヨッホにあるスフィンクス展望台に向かった。
モンブランでの悪夢体験が強迫観念になって、2日前から標高3,000m越えを意識しだすと心臓がドキドキしはじめ、息苦しくなるようになった。モンブランでの悪夢体験が強迫観念になっているのだろう。
名物のトンネル内の中間駅で下車して、崖の窓からアイガ―を眺めた。険しい岸壁が圧倒的な迫力で迫ってくる。遭難事実をドラマ化した映画「アイガ―北壁」が脳裏に浮かぶ。
1936年、ドイツ、オーストリア人4人が、アイガ―北壁初登攀をめざしたものの、事故、雪崩などで途中下山を決意する。悪天候の中、悲劇は起こる。1人は転落し、墜落で宙づりになった2人は、ザイルを支えている上の友人を救うためにザイルをナイフで切ってしまう。1人崖の途中に取り残された主人公も負傷して一歩も動けない。恋人を含む救援隊がこのトンネルの抜け穴から救出を試みるが、あと一歩の所までで近づくことができない。主人公は最後の最後まで力を振り絞って生き抜こうと努力するが、極限の吹雪と寒さの中で恋人の目の前で息絶えてしまう。あの鉄扉の向こうから、救援隊は助けに向かったのだ……
再び電車に乗って展望台に着いた。外は吹雪で真っ白だし、頭もフラフラするので、中国人観光客でごった返す展望室内で熱いコーヒーを飲んで、映画の余韻に浸っていた。
次の日は、この旅行中一番の晴天だった。
ミューレンという村からケーブルカーで天上のお花畑アルメントフーベルへ。そして、アイガ―などのアルプスを眺めながら、高山植物が咲き乱れる花の小道を約2時間のハイキング。夢のような気分だった。
午後の自由時間は、A氏と電車でグリンデルワルドに行った。アイガ―北壁が村全体に押し迫っている観光地である。さすがに観光客で活気に満ち溢れていた。スーパーで最後のおみやげを買った。帰りの電車で韓国の若者3人と知り合い、片言の英会話で大いに盛り上がった。
最終日は、古都ルツェルンに行く途中で、伝説の<嘆きのライオン像>を見た。ライオンは、本当に痛くて悲しそうな表情をしていた。
ルツェルンの世界最古の屋根付き木造の橋、カベル橋は色鮮やかな花で飾られて素敵だった。そしてチューリッヒ空港から再びドバイを経由して、帰国の途についた。
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A氏は薬なしでなんとか8日間を無事乗り切ることができた。私は高山病を初体験したものの、アルプスの絶景を満喫して毎日が夢見心地の旅であった。今度は、いつか一人旅で、イタリアのドロミテ・アルプスからスイスのサンモリッツに行って、アルプストレッキングを満喫してみたい。
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