サットンプレス(マンハッタン)

サットンプレス(マンハッタン)

えいがたびものがたり<2>・アメリカ東海岸都市・弾丸ツアー

文・写真: Mr. C.T

アメリカ <2014年5月17日~23日>


2014年の<5月の7日間>、ニューヨーク、ワシントン、ボストン、フィラデルフィアに行って来た。飛行機移動の2日半を除くと4都市を4日間の超スピードで回ってきたことになる。ましてや各都市間の移動距離が150kmから350kmあり、各地の観光時間は(ニューヨークの1日を除いて)正味半日間だけであった。

このスケジュール表をアメリカのバス運転手に見せると「オーマイゴッド!」と呆れ果てていた。

ツアー参加者は、41人の大所帯。添乗員は髪の長い大柄な(元バレーボール選手か?)30代女性。

前回のイギリスに続いて今回も、元KCCメンバーのBさんと一緒である。やはり男性の二人連れは珍しく、定年後の夫婦やおばちゃんグループがほとんどであった。いつもながら私達は他のメンバー全員から仲のいい父子と勘違いされ、私は近ごろ奇特な親孝行息子だと信じられていた。

§ § §

関空から直行で約14時間のフライト後、いよいよケネディ空港での入国審査。広いフロアはチェック待ちの人々で大行列なのに、係員の応対は緩慢で悠長に話しかけては一人に最低5分から15分程時間を費やしている。このアメリカ流?の能率の悪さに私はイライラしっぱなしであった。

特に先頭の添乗員さんの列の前の人で渋滞しまくり、添乗員さん自身の番でも係員がむやみやたらに話しかけてはトークを楽しんでいる風情。添乗員さんがやっと抜け出たときには、ツアー客の一部が、待ち合わせの場所のバギッジクレーム(手荷物受取所)に添乗員さんが不在ということで通関を抜けて再入場不可の出迎えフロアに出てしまっていた。

1時間近くかけて私達が入国審査を抜けて待ち合わせ場所に着いた時には10人程度しか集まっていなかった。添乗員はバラバラになってしまったツアー客探しに右往左往しながら、私達にここで待ってくださいと言った。

私達10人は不安な思いで添乗員を待ち続けた。

30分ぐらいして添乗員がソワソワしながら近づいてきた。

ホッとしたのもつかの間、添乗員は4~5メートル手前で私達をチラッと一瞥しただけで、また去って行った。添乗員は私達に気がついているはずと信じて、私達はイライラしながら10分以上待った。そして、私達のツアーメンバーが他の場所で集まってないか、近くに添乗員はいないかと探し回った。

「こんな状況はありえないし、外でみんなが待っているはずだから、とりあえず出ましょう」と、私は残っているメンバーに訴えかけた。

しかし、おそらく重役で退職したと思われる年配の方が、

「そもそも待ち合わせ場所はここに指定されていたし、添乗員自身がここで待てと言ったのだから勝手に動かない方がベターでしょう」と提言された。

それはそうだけど、これはもう非常事態でしょ!

1時間近く経ってようやく私達は出迎えフロアに出た。そこではプラカードを掲げている人達に混じって、心配顔の添乗員や他のツアー客の顔が待っているものと期待していた。

しかし誰もいなかった。私達は迷える子羊の群れ同然の心境であった。

数分して添乗員が警備員を制して駆け込んできた。

添乗員によると、ターンテーブルには荷物が残っていないし、全員が外に出ていると思い込んでいたとのこと。近眼なので、待ち合わせ場所で待っていた私達に気がつかなかった。

他のアジア人ツアー客だと思っただと!

そもそも、あなたが「ここで待ってくれ」と指示したことを忘れているなんて、アンビリバーブルである。頼りない添乗員のおかげで初っ端から散々である。愛嬌がよくて一所懸命なだけに困ったチャンである。

私はBさんにきっぱり言った。「決して彼女を頼りにしないこと、信用しないこと」

しかし、これは波乱の旅の幕開けにすぎなかった。

§ § §

約2時間遅れで、午後4時頃ニューヨークを出発して約350キロ先のワシントンへ。

予定ではバスで約5時間半の長丁場。暗いバスの中で冷たいおにぎりと油強いトリの空揚げと卵焼き弁当を黙々と食べる。後10分位で着くでしょうと添乗員さんに何度も先延ばしにされ、道路工事などの渋滞でホテルに到着したのは、午後11時頃だった。そして翌々日がフィラデルフィア美術館の休館日ということで、明日はワシントン観光の後、夕方までに250キロ先のフィラデルフィア美術館見学敢行とのこと。ひぇ~!


早朝6時出発のため、モーニングコールは、朝4時30分。翌朝も弁当の予定が、ビュッフェに変更と添乗員さんに言われて、メンバー全員に少し笑顔が。しかし結局朝食は、オレンジジュースとビスケットとリンゴの弁当だった。従業員が欠勤して料理の手配ができなかったとのこと。

これからは、添乗員さんの責任というより、アメリカ風いい加減さにふりまわされて散々な目にあわされることになる。こうなってくると添乗員さんも犠牲者で、お気の毒になってくる。アンハッピー・エピソードの詳細は、紙数が尽きて本題に入れなくなるので、このあたりで割愛させていただくことにする。

ただ一つ、老世代ゆえの体力不足に加え、超ハードスケジュール+アメリカ風大味ドデカ料理+バスの冷房故障等のアクシデントが重なり、体調不良でバッタバッタと倒れる人が連日続出したことだけはお伝えしておく。

幸い私とBさんはずっと健康そのものであった。


翌日は早朝とあってワシントンの観光地は全く無人で、私達だけの独占状態であった。現地ガイドは、政治記者、特派員風の風貌ながら元コックさんという中年男性の日本人で、色々な政治的裏話を聞くことができた。

<ホワイトハウス>、<ワシントン記念塔>、<国会議事堂>、今は葉桜の<ポトマック公園>を駆け巡り、<リンカーン記念館>に到着。

椅子に坐した巨大なリンカーン像が見据えるのは、幾何学的に均整のとれた池と塔の広場。

「フォレスト・ガンプ」で、この広大な敷地に群衆がひしめいて、何か式典が行われていたシーンが思い浮かぶ。

続いてケネディ夫妻が埋葬されているアーリントン墓地へ。

グリーンの芝生の上に無名戦士の白い墓が、整然と並んでいる。これは、アメリカの戦争映画、反戦映画で何度も目にした光景である。

そして最後は、<スミソニアン航空宇宙博物館>。本物のアポロ宇宙船やライト兄弟の飛行機、ゼロ戦を見ることができた。

ガイドさんの説明によるとここが、「ナイトミュージアム2」の舞台になったとのこと。ヒロインとして登場した実在した世界初の女性パイロット、アメリア・イアハート(エイミー・アダムス)が乗っていた飛行機も展示されていた。日本に帰ったら早速DVDを借りて見ようと思った。

やはりワシントンはアメリカ、いや世界政治の中心機能を果たしている都市。立派な官舎が立ち並ぶ落ち着いた通りが続く。人口のほとんどが公務員だというのも頷ける。

§ § §

昼食を腹いっぱい食べてバスに乗り、約3時間半でフィラデルフィアに。

閉館間際の<フィラデルフィア美術館>に慌ただしく入場する。30分足らずで、印象派の画家を中心に焦りながら名画を見まくった。

外に出ると美術館前の階段で、やたら人が上り下りしていた。階段を走って上がる姿を友達や恋人にカメラで撮ってもらっている。この階段で、「ロッキー」はトレーニングしてチャンピオンになったのだ。

階段横のロッキーの銅像の前には観光客の長蛇の列ができていた。ロッキーの前で、それぞれユニークなファイティングポーズを決めて写真におさまっていた。

フィラデルフィアを舞台にした映画は、その他には「フィラデルフィア」「シックス・センス」などがある。古い街並みと高層ビル群が悠然とに溶け合って、いい雰囲気の街だなと思った。


翌朝はホテル近くの歴史地区の散歩から始まった。

現地ガイドは聡明な感じの50代日本人女性。

エルフレス小径と呼ばれるアメリカ最古の住宅街は、石畳の舗道の両側に瀟洒な煉瓦造りの建物が立ち並び、欧風な落ち着いた佇まいである。窓には鉢植えが飾られ、温かな生活感が漂っている。この小路は、今回の4都市の旅の中で、私の一番のお気に入りのスポットとなった。

この通りの一角に、アメリカ国旗を初めて作った女性、<ベッティ・ロス>の家が当時のまま保存されている。庭には、建国当時の13個の星条旗がはためいていた。

大通りに出てしばらく歩いていると、フランクリン・ベンジャミンが作った郵便局や、消防署など歴史的な建造物があちらこちらと目にとまる。何しろここはアメリカ建国の地である。保存されているものは、ほとんどアメリカ初なのである。

ほどなくして世界遺産<アメリカ独立記念館>に到着となる。

その前に<リバティ・ベル(自由の鐘)>の見学である。

<自由の女神>と並びアメリカの象徴としてテロの標的にされやすいので、入場検査は他にも増して厳重であった。アメリカ独立宣言の際響き渡ったその鐘は今、大きなひび割れを残したまま目の前に鎮座していた。

<リバティ・ベル>の建物を出て通りの向かいにアメリカ独立宣言が起草されたアメリカ13州の州議会会議場がある。アメリカはすべてここから始まったのである。アメリカ人ばかりでなく、世界の人誰にとっても感慨深い場所であると思う。


こうして歴史の街を後にして、私達はボストン行きの列車に乗った。

普通列車で指定席券もなく41人は各車両の空いている席にバラバラに分かれて座った。

ボストンまでは約6時間半の長旅である。ニューヨークを過ぎると、車内はガラガラになった。

長い髪を前に垂らした添乗員さんがフラフラとまるで亡霊のように歩いて来て、私に気付くこともなく通り過ぎて行った。様々なトラブル続き(ツアー客の体調不良続出、料理の遅れ変更、列車の遅れ等)で疲労困憊なのであろう。その姿はまるで「貞子」にしか見えなかった。

§ § §

ボストン駅に着いたのは、夜の9時頃。そしてホテルに着いて遅い夕食となった。

生まれて初めて食したクラムチャウダー(ホタテだしのポタージュ風スープ)が美味であった。重いけど、おみやげにクラムチャウダーの缶詰ははずせないと心に決めた。

ボストンでの現地ガイドは、30代の日本人男性。

添乗員さんは事前に、電話での声からしてきっと「彼はゲイだと思う」と断言していた。

「私が男っぽくてよくレズと間違われるので、わかるの」と。でも、「決して彼にはそのことは内緒に」というお達しである。果たして、パッと見た感じとしゃべりからは、ノーマルな印象であった。おねぇ言葉でもないので、添乗員さんのまったくの思い込みだとばかり思っていた。

ところが彼の左手が曲者であった。左手の指先が髪の毛をさわりまくりなのである。約6時間のガイド中、彼の左手の指先が髪の毛から離れることはほとんどなかった。単に指で髪に触れるだけではなく、指を髪に巻きつけていじりまくるのである。クセというより、病的な症状にしか見えなかった。

われわれツアー客全員が彼の指先に神経が集中してしまい、不快感と焦燥感でイライラモード全開となってしまった。

彼の姿を見ることなく声だけに集中しようとしてもダメである。

ガイドの内容はほとんど頭に入らなかった。ガイドがようやく終わって、彼と離れてバスに乗り込んだ時、メンバー全員がフーッとため息を洩らすのを私は見逃さなかった。

彼を傷つけてはいけない、差別的な発言をしてはならないという暗黙のプレッシャーから解き放たれた安堵感が、車内に充満していた。

見送りしてくれている彼に向って、窓側の全員が解放感あふれる笑顔で手を振った。

彼も嬉しそうに手を振り続けていた。ようやく彼の姿が見えなくなると、車内全体にドッと笑い声が広がった。そして各席はしばらくの間、彼の話題で持ち切りとなった。


さて本題に戻ってボストンの街めぐり。まずはあの<ハーバード大学>の構内へ。

「ソーシャル・ネットワーク」のザッカーバーグの寮も見た。あのガイドさんが何やら「愛と青春の旅立ち」が図書館前のここでうんぬんとしゃべっていたように聞こえたが、ハーバード大学とこの映画と何か関連があったかと後でネットであれこれ調べたが、結局分からずじまいだった。DVDを借りて再見するしか確かめようがない。

ボストンにはハーバードの他、マサチューセッツ工科大学など有名大学が多数あり、学生の街と言っても過言ではなさそう。

ボストン関連の映画と言えば、「ミスティック・リバー」「グッドウィル・ハンティング」「「ザ・タウン」「ディパーティッド」などがある。

<トリティ教会>、歴史街道といえる<フリーダムトレイル>、<ボストン美術館>、<ビーコンヒル>に行って、<クインシ―マーケット>で昼食となった。

ボストンの印象は、活気あふれる大人の街という感じか。ボストンで最も良かったのは、古い街並みを残した高級住宅街、<ビーコンヒル>である。通りや路地の風情が魅力的で、写真をバカみたいに撮りまくって充電池が切れてしまったほどである。

§ § §

そしてついに350キロ先のニューヨークをバスで目指して約5時間、夜の8時頃、最終目的地ニューヨークに着いた。

宿泊先は、マンハッタン・ミッドタウンサウスの<ホテル・ペンシルバニア>。

マディソン・スクウェアガ―デンの正面で、エンパイヤステービルへも歩いて約5分という絶好の場所。そして運命の女神様は、私達に最高のプレゼントを贈ってくれた。

なんとホテルの部屋の窓からエンパイヤステートビルの全景がバッチリ見えるのだ。

このホテルからグレンミラーが田舎の彼女に電話をかけた時の連絡先が「ペンシルバニア6-5000」。映画「グレンミラー物語」でのあの軽快なリズムと掛け声が懐かしい。

今夜の食事はレストランで、厚さ2センチ以上の赤身ステーキ。

食後に1時間以上並んで<エンパイヤステートビル>に上ってニューヨークの摩天楼の夜景を満喫した。ホテルに帰った時、時刻は深夜0時を超えていた。


翌日は4時半起床。Bさんと朝の散歩に出かけた。

高架鉄道の廃線を緑の公園に変身させた<ハイライン>を歩きたくてチェルシーあたりに向かったが、あいにく<ハイライン>オープンは7時からで、昇り口には鍵がかかっていた。

仕方なく東にターンして、5番街の<フラットアイアン・ビル>まで行き、そこから北上して7時頃ホテルに戻った。この薄い三角形型ビルは、「スパイダーマン」「ハリウッド版ゴジラ1998」に登場している。


今日の観光は8時30分出発。

現地ガイドは、40代日本人女性。スマートで美人だった。

<グラウンドゼロ>、<自由の女神のリバティ島上陸>、<国連本部>、<リンカーンセンター>、<ダコタハウス>と回って、タイムズスクエア近くのレストランで昼食。

「ビル・カミンガム~」が住んでいるカーネギーホールも見た。

そして最後のメーンイベントは、<メトロポリタン美術館>入場である。

実は、今回の私の旅の最大の目的は、フェルメールの絵をニューヨークで8点観るということ。このメトロポリタン美術館では、5点ものフェルメール作品を拝むことができるのだ。

この5作品をじっくり堪能した後、印象派以降の作品をたっぷり観て回った。

最後の夕食は、チャイナタウンで中華料理。

しかし食事に参加したのは20数名だけ。他の十数名は、ダウンして早々とホテルに引き揚げていた。テーブルがまるまる二つ無人の席になってしまった。

ホテルに帰ったのは夜9時頃。これで観光の全日程が終了した。


しかし、私にとってはこれからが本領発揮である。

§ § §

疲れてしまったBさんをホテルに残して、私はいざ、一人で夜のニューヨーク探検に出かけた。

夜のブロードウェイ街は、まさに光と人の洪水であった。特にタイムズスクエアの赤い階段あたりは人ごみでごった返してハイテンションモード、ムンムンであった。

これぞニューヨークだ!!

香港、ラスベガスなど海外の大都会の夜でしか味わえない興奮である。

意外だったのは、横筋に点在するミュージカル劇場のネオンが地味でひっそりしていたこと。通りがもっときらびやかに光り輝いているものとばかり思っていた。

映画の広告は、「ゴジラ」と「マレフィセント」の大看板が目を引いていた。

ロックフェラーセンターのラジオシティ前を通って、クライスラービル横の<グランド・セントラル駅>に降りてみた。広々として品格あふれるコンコースだった。ここも何度も映画の舞台になっているはずだ。「恋におちて」「カリートの道」などが印象に残っている。

2時間ぐらいかけて、夜の11時過ぎにホテルの前まで戻ってきた。

そして最後の最後ようやく、本場の屋台で3ドルのホットドッグを買って食べた。何の変哲もない味だった。日本のドトールコーヒーのホットドッグの方が美味しいと思った。

部屋ではBさんが心配して、起きたまま待ってくれていた。


そして翌日は、アメリカ最後の日。ホテル出発は朝11時。ツアー客のほとんどが時間までホテルで待機の様子。Bさんも部屋でゆっくりしたいとのこと。

だが私には、11時までのこの貴重な時間を利用しての重大なるミッションが待ち構えている。朝7時にホテルでパンケーキの朝食を済ませると、帰国用の荷物をBさんに託してホテルを出た。

東に向かってエンパイヤステートビルを左折して5番街をひたすら北に向かって歩いて行った。時間がないので、通勤途上のニューヨーカーを真似て赤信号の横断歩道をずんずん進んで行く。

30分ぐらいで<ティファニー>の前に着いた。

小さなショーウィンドーの貴金属を眺めながら、途中のベーカリー店で買ったベーグルを齧ってみた。わが最愛のオードリーへの最大の敬意を表した儀式である。サングラスをかけていたらよりパーフェクトだったかも。

さて次のミッションは、「恋におちて」のファーストシーンでメリル・ストリープとロバート・デ・二―ロが出会う本屋さんに行くこと。

ティファニービル前の通りを数十メートル西に渡った処にある<リゾーリ書店>である。

まだ開店前なのかと恐る恐る近づいてみると、なんと数週間前に移転したとの張り紙が!店の中を覗き込むと、立派な書棚が奥の方まで空虚に聳えていた。

落胆している暇はない。気を取り直して同じ57丁目を今度は東に直進してゆく。

ティファ二―をほどなく通り過ぎて、マンハッタンの東端をひたすら目指す。サットン・プレイスのイーストリバーの川岸にたどり着くと目の前の左側に、雄大なクイーンズボロ―・ブリッジが向こう岸に伸びている。

そこにはリバービュー・テラスという見晴らし台があり、ゆったり座れるベンチが置いてある。そう、ここはウッディ・アレンの「マンハッタン」の冒頭シーンのロケ地なのである。

私にとってのニューヨークのイメージは、ベンチに座って語らう男女2人の後ろ姿を前景としたリバーブリッジの何とも言えずロマンチックな情景であった。

この場所は私にとって、ニューヨークの聖地とも言えよう。

隣に恋人がいないのは寂しいが、私は飽きることもなくベンチに座ってずぅっと目の前の川の流れと橋を見続けた。慌ただしい旅だったが、ようやくゆったりと落ち着いた気分に浸ることができた。


次はいよいよセントラルパークだ。木々の緑と白いビルと鏡のような池のコントラストが美しい。映画かテレビドラマのロケか、白い水兵服を着た男2人とレトロなファッションの女性がカメラの前で談笑していた。

私は、<ストロベリーフィルズ>を探して歩き回った。

それは小さな丘の上にあった。円形の慰霊碑の傍のベンチで長髪の若者がギターを弾きながら「イマジン」を歌っていた。昨日見た、ジョン・レノンが射殺されたダコタハウスの玄関ドアが脳裏に焼き付いて離れない。ギターケースに1ドル札を置いて立ち去った。


ついに最後のミッションである。

それはセントラルパーク東横の<フリック・コレクション>で門外不出のフェルメールの絵画3点を鑑賞すること。

開館予定10時である。5分前にフリック邸に着いた。

邸宅内は、まるで貴族の館のように瀟洒でエレガントな佇まい。待望のフェルメールの絵は、小さな2点が薄暗い廊下にさりげなく飾られ、もう1点の中型作品は大広間に他の名画に交じって渋い存在感を誇示していた。

短時間ながら、なんとも贅沢な時間を過ごすことができた。


10時半にはフリック邸を出て、イエローキャブを拾った。薄汚れた車内だった。途中渋滞に巻き込まれてハラハラしたが、約20分でペンシルバニアホテルに到着できた。

25ドル渡してチップをはずんだ。ヒスパニック系の運転手が嬉しそうにサンキューと声を上げた。

ホテルのロビーで、Bさんが私の姿を見つけてホッと安堵の表情を浮かべた。

§ § §

強行スケジュールの旅だったが、欲張って個性あふれる4都市を旅できて良かったと思う。

政治都市としてのワシントン、芸術文化都市としてのフィラデルフィア、学研都市としてのボストン、そして経済総合都市としてのニューヨーク。それぞれがお互いの機能を補完し合い上質な都市圏を形成しているように思えた。

いつか近い将来、今度はニューヨークを1週間以上かけて歩いてみたい。

それまでにも様々な映画がニューヨークを舞台に撮影され続けていることだろう。

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