発明の認定における実験報告書の役割(その1)

「誘電体磁器事件」(審決取消訴訟:平成25年(行ケ)第10324号)


Ⅰ.実験報告書

 審査における出願発明又は無効判断時の特許発明(以下、まとめて発明といいます)の新規性を認定する場合、その発明の出願時以前に、その発明に含まれる構成を有する公知発明が見出されると、その発明は、その公知発明に基づいて新規性を有しないと認定されます。


 一方、材料の発明は、その材料を構成する化合物の組成だけでは特定できず、化合物の結晶構造や材料の物性を併せて特定して、初めて当業者がその材料を明確に特定できる場合が多くあります。

 このような材料の発明のクレームでは、化合物の組成、結晶構造及び物性が特定されることになります。

 公知文献中の公知材料が、その発明を構成する化合物の組成は記載されているけれども、結晶構造や物性までは記載されていない場合、クレームされた材料の発明の新規性はどのように認定されるのでしょうか。


 材料の発明は、化合物の組成だけ与えられても、他に手掛かりがなければ、測定することなく結晶構造や物性を予見することができないので、

 その公知材料に対して、出願人又は特許権者が、

「結晶構造及び物性は、公知文献には記載がないので、クレームされた材料の発明は、公知材料に対して新規性を有する」と主張すれば、多くの場合、発明の新規性を否定されないことになります。

 何故なら、上記の出願人又は特許権者の主張に対して、審査官、審判官又は裁判官は、公知材料の結晶構造及び物性を測定する能力を欠くため、反論ができないからです。


 そこで、材料の発明に対して権利化を阻止したい又は無効にしたいと考える当業者が、公知材料の結晶構造及び物性を測定できる場合、実験報告書を作成して情報提供したり、証拠として提出したりすることがよく行われます。

 しかし、その場合であっても、実験報告書の実験条件等によっては、実験報告書の証拠能力が認められたり否定されたりすることがあります。


 最近の裁判例で、実験報告書による発明の再現が認定されなかった判決例と、認定された判決例がでています。

 今回は、発明の再現性が認められなかった審決取消訴訟の例(審決取消訴訟:平成25年(行ケ)第10324号)を紹介し、

 次回は、発明の再現性が認められなかった侵害訴訟の例(平成26年(ネ)第10018号)を紹介します。

 この2つの判決例は、対象となる特許発明、当事者及び知財高裁裁判官が同一で、実験報告書(再現した公知発明)の相違によって真逆の結論となったという、興味深い内容です。

 なお、判決例からの引用には、筆者が適宜改行、省略及び下線付設をしました。


Ⅱ.「誘電体磁器事件」(審決取消訴訟:平成25年(行ケ)第10324号)


A.事件の経緯

(1)原告は、特許第3830342号(以下「本件特許」)の特許権者である。

(2)被告は、本件特許について無効審判請求をした。

(3)特許庁は、本件特許を無効にする旨の審決1をした。

(4)原告は、審決取消訴訟(平成23年(行ケ)10210号)を提起した。

(5)原告は、特許請求の範囲等の記載について訂正審判請求をした。

(6)知財高裁は、審決1を取り消す旨の決定をし,この決定は後に確定した。

(7)特許庁は、これを受けて無効審判の審理を再開し、本件訂正を認める,審判の請求は成り立たない旨の審決2をした。

(8)被告は、審決取消訴訟(平成24年(行ケ)10180号)を提起した。

(9)知財高裁は、審決2を取り消す旨の判決をし,この判決は後に確定した。

(10)特許庁は,これを受けて無効審判の審理を再度再開し、本件訂正を認める,本件特許の請求項1ないし5に係る発明についての特許を無効とする旨の審決3をした。

(11)審決3が本件訴訟の対象となる審決である。


B.知財高裁の判断

 特許庁がした特許を無効とする旨の審決3を取り消しました。

 実験報告書の発明の再現性が関係する理由は以下の通りです。


C.知財高裁の判断の理由

C.1.本件訂正発明

 本件特許の訂正後の請求項1(以下「本件訂正発明」)の分説は次の通りです(筆者が、判決例(平成26年(ネ)第10018号)に倣って分説しました)。

【請求項1】

A.金属元素として少なくとも稀土類元素(Ln:但し,Laを稀土類元素のうちモル比で90%以上含有するもの),Al,M(MはCaおよび/またはSr),及びTiを含有し,

B.組成式をaLn2OX・bAl2O3・cMO・dTiO2(但し,3≦x≦4)と表したときa,b,c,dが,

0.056≦a≦0.214 0.056≦b≦0.214

0.286≦c≦0.500 0.230<d<0.470

a+b+c+d=1

を満足し,

C.結晶系が六方晶および/または斜方晶の結晶を80体積%以上有する酸化物からなり,

D.前記Alの酸化物の少なくとも一部がβ-Al2O3および/またはθ-Al2O3の結晶相として存在するとともに,前記β-Al2O3および/またはθ-Al2O3の結晶相を1/100000~3体積%含有し,

E.1GHzでのQ値に換算した時のQ値が40000以上である

F.ことを特徴とする誘電体磁器。

 なお、以下の審決では、本件訂正発明は本件発明1、請求項1の従属項2~4に係る発明を本件発明2~4、請求項1を引用する請求項5に係る発明を本件発明5としている。


C.2.審決の概要

(1) 審決の判断

① 本件訂正は適法である,

② 本件発明1は,甲1公報(特開平6-76633号公報)記載の甲1発明に基づいて当業者が容易に発明することができた,

③ 本件発明2ないし5も,甲1発明に基づいて当業者が容易に発明することができた,とするものである。

(2) 審決の甲1発明に対する認定内容

① 甲1発明は、構成要件A及びBを備える(一致点)。

② 甲1発明は、構成要件EにおけるQ値が40000以上と限定されない(相違点1)

③ 甲1発明は、構成要件C及びDで特定される結晶系が不明である(相違点2)。


C.3.知財高裁の相違点に関する判断

(1) 審決について

「審決は,甲1発明の試料No.35から相違点1は容易想到であるとし,その上で,

 相違点2は同試料の再現実験の結果,その結晶構造が甲4報告書に示されていることから,

 相違点2も甲1公報に明示的に示されている場合と同視できるか,あるいは甲1公報から容易に想到し得る構成であることを前提として,

 選択発明としての進歩性の検討に移っているものと解される。

 しかしながら,選択発明としての進歩性を判断する前にまず検討すべきことは,

 甲4報告書や甲35報告書の実験の結果により,

 甲1発明に加えて,甲4報告書や甲35報告書に記載された結晶構造等の属性も,

 甲1公報に「記載された発明」(特許法29条1項3号)となると解してよいのか,

 また,このような理解を前提として,相違点に係る構成も容易に想到し得る構成となると解してよいのかの点である。」

(2) 広義の刊行物記載発明

「特許法29条1項3号は,「特許出願前に日本国内又は外国において頒布された刊行物に記載された発明・・・」については,特許を受けることができない旨規定している。

 同号の「刊行物に記載された発明」とは,刊行物に明示的に記載されている発明であるものの,このほかに,当業者の技術常識を参酌することにより,刊行物の記載事項から当業者が理解し得る事項も,刊行物に記載されているに等しい事項として,「刊行物に記載された発明」の認定の基礎とすることができる。

 もっとも,本件発明や甲1発明のような複数の成分を含む組成物発明の分野においては,甲1発明のように,本件発明を特定する構成の相当部分が甲1公報に記載され,その発明を特定する一部の構成(結晶構造等の属性)が明示的には記載されておらず,また,当業者の技術常識を参酌しても,その特定の構成(結晶構造等の属性)まで明らかではない場合においても,当業者が甲1公報記載の実施例を再現実験して当該物質を作製すれば,その特定の構成(結晶構造等の属性)を確認し得るときには,当該物質のその特定の構成については,当業者は,いつでもこの刊行物記載の実施例と,その再現実験により容易にこれを知り得るのであるから,このような場合は,刊行物の記載と,当該実施例の再現実験により確認される当該属性も含めて,同号の「刊行物に記載された発明」と評価し得るものと解される(以下,これを「広義の刊行物記載発明」という。)。

 これに対し,刊行物記載の実施例の再現実験ではない場合,

 例えば,刊行物記載の実施例を参考として,その組成配合割合を変えるなど,一部異なる条件で実験をしたときに,初めて本件発明の特定の構成を確認し得るような場合は,本件発明に導かれて当該実験をしたと解さざるを得ず

 このような場合については,この刊行物記載の実施例と,上記実験により,その発明の構成のすべてを知り得る場合に当たるとはいうことはできず,同号の「刊行物に記載された発明」に該当するものと解することはできない

(3) あてはめ

(3-1)「甲1公報には,上記実施例(甲1公報の試料No.35)である誘電体磁器については,その結晶構造についての明示的な記載はない。

 また,甲1公報の試料No.35は,そもそもQ値が39000であり,この点で本件発明の構成要件を充たすものではないから,その再現実験等によりその結晶構造を知り得たとしても,そもそも本件発明の全ての構成を示すものではない。

 すなわち,原告は,甲4報告書の実験において,試料No.35の再現実験を試みているが,甲1公報の試料No.35は,そもそもQ値が39000であるから,その再現実験をして,結晶構造を確認したとしても,本件発明の新規性を否定することはできない

 また,甲35報告書により,甲1公報記載の試料No.35と比べ,甲1発明の範囲内でAl2O3のモル比が一部異なる試料を作製し,これにより作製した試料によって,その結晶構造やQ値を確認したとしても,それは甲1公報に記載された実施例そのものを再現実験したものではないから,・・・この結晶構造等を広義の刊行物記載発明と認めることはできず,甲1公報記載の実施例と,甲35報告書によっても,本件発明の構成のすべてを知り得る場合に当たるとはいえない。

 以上によれば,本件発明は,甲1公報記載の上記実施例と,甲4報告書や甲35報告書から,その構成のすべてを知り得る場合に当たるとはいえず,本件発明は特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」(広義の刊行物記載発明)には当たらないと解される。」

(3-2)「次に,審決は,本件発明と甲1発明の相違点2について,

 甲1発明の試料No.35や甲4報告書及び甲35報告書における実験の結果から本件発明の相違点2に係る構成(結晶構造等の属性)を容易に想到し得ると判断し,これを前提として,選択発明における進歩性の検討(顕著な効果の検討)をしているとも解される。

 しかし,甲35報告書は,甲1発明の試料No.35とはその組成を異にした試料についての実験であるから,これによりその結晶構造が判明したとしても,前記の理由により,これを出願時の公知技術と同視することはできない

 審決が,これを出願時の公知技術と同視して,容易想到性の判断をしたとすれば,その点で審決の判断は誤りである

 また,甲4報告書において作製された,甲1発明の試料No.35に相当する物は,・・・Q値は50200であり,甲1発明の試料No.35のQ値39000とはQ値が異なること,及び,甲57報告書で作製された試料No.35に相当する物は,・・・Q値は35700であることからすると,甲4報告書で作製された物を,直ちに甲1発明の試料No.35の再現実験であるとして,その結晶構造が確認できたと認めることは困難である。」

(続く)

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