10位から3位迄の一覧
TV時代劇ベスト10(その3)
5年ほど前から、TVを見なくなり、2011年7月24日にアナログ放送が途絶えたのが決定的となり、TVとのお付き合いが全くなくなってしましました。
しかし、それまでに出会った数々の素晴らしいTV番組は、小生の人格形成に少なからぬ影響を与えており、ここに感謝の意味を込めて、この半世紀のTV鑑賞報告をさせていただきたいと思います。
前回は、TV時代劇ベスト10の第7位から第5位までを報告しましたが、
今回は、第4位及び第3位を報告します(番組タイトルの後に、Wikipedia等の紹介サイトのURLを設けておきました)。
第4位 「新撰組血風録」(1965~1966)
(参照先)
船橋元(近藤勇)が池田屋に突入し、飛び散るモノクロの血しぶきが想像力を刺激して、どれだけ血なまぐさく恐ろしかったか、子供の私には怖くてみることができないTVドラマでした。
その後、「俺は用心棒」や「風」(土田早苗さんに憧れました)の栗塚旭がかっこよく、よく共演していた左右田一平と島田順司の3人が「新撰組血風録」でも同じイメージの役をやっていたという話をよく聞き、いつか「新撰組血風録」をきちんとみてみたいと思っていました。
そして「新撰組血風録」がビデオレンタルされ始めたのを機に、毎週末1巻ずつ借りて、TVとほぼ同じペースで見たところ、毎回の感動と滂沱の涙で困ってしまいました。
各隊士に焦点を合わせたエピソードを丹念に積上げ、これらのエピソードにレギュラーの斉藤一(左右田一平)と沖田総司(島田順司)がさりげなく絡み、土方歳三(栗塚旭)が渋い語り口(クールの極み)のナレーションで話を進行させていくという構成で、ドラマ全体が、各隊士の死に向かう物語を客観的に突き放しながらも、暖かく包み込むという、心憎くも素晴らしい脚本でありました。
脚本の結束信二と、多くのエピソードを監督した河野寿一は、東映娯楽時代劇でならしており、このコンビがTV時代劇の基礎をつくったともいえます。
現在の太秦映画村と違い、当時の東映のセットをそのまま使用していると思われ、広々とした屋内での殺陣は、ダイナミックで迫力があります。
また、春日八郎のアナクロムードに溢れた「新撰組の旗が行く」(渡辺岳夫作曲)も、ドラマの前半では、若き新撰組の立ち上げへの応援歌、ドラマの後半では、落ち延び追い詰められる新撰組の葬送歌として、これ以上ぴったりの曲はないといえます。
隊士の中では、徳大寺伸演じる原田佐之助の控え目ながら筋を通す生き方が印象に残っています。
しかし、なんといっても、
栗塚旭が演じる水も滴る「土方歳三」、
島田順司が演じる透明で切ない「沖田総司」、そして、
左右田一平が演じる新撰組の最後をみとり生涯その供養をする「斉藤一」の主役3人の死と背中合わせの若さが情熱的で、それぞれがついに最後の別れを迎える場面では涙を抑えることができませんでした。
土方歳三、沖田総司、斎藤一の3人は、栗塚旭、島田順司、左右田一平の3人以外が思い浮かばなくなるほどのはまり役で、NHKのリメーク版はキャストの差で敬遠してしまいました。
映画が斜陽になりだした頃、映画の仕事がなくなりつつありTVに活動舞台を移さざるをえなかった若手俳優、悪役俳優、優れた脚本家・監督その他のスタッフが、撮りたいものを撮るという熱気があふれた多くのTV時代劇がつくられましたが、「新撰組血風録」は、その中でも際立って情熱的なTV時代劇です。
「新撰組血風録」は、我国の高度成長時代の始まりと共にTV産業が急速に立ち上がっていったあの頃でなければ制作しえなかった奇跡のTV時代劇であるといえましょう。
もし、特に女性で、この栗塚旭版「新撰組血風録」を観ていない方がいらっしゃるようでしたら、この時代に生まれてこれを観なければ甲斐なし、と思いますので、ご鑑賞いただくことを強くお奨めします。
第3位 「必殺仕掛人」(1972~1973)
(参照先)
市川崑監督の演出がモダン、上条恒彦の歌がモダン、主演で新人の中村敦夫がこれまでの時代劇俳優とは異なりモダン、とモダンずくめの「木枯し紋次郎」(フジテレビ)でしたが、同じ時間帯にTBSが仕掛けた本格時代劇「必殺仕掛人」には力負けしてしまいました。
大映時代劇の奇才で、当時、大映時代劇の最後の光芒を放っていた若山富三郎主演の「子連れ狼」(勝プロ)を演出した三隅研次監督と、東映のやくざ映画のエース監督で、残酷場面を品よく描くことができる深作欣二監督が、多くのエピソードを演出し、
NHK歴史時代劇「太閤記」(1965)と「源義経」(1966)の主演級を経て、油が乗り切っていた稀代の個性派かつ演技派俳優である緒方拳が主演であり、
「木枯し紋次郎」に比べれば遥かに正統派本格時代劇であったといえます。
私は、「木枯し紋次郎」を初回から欠かさず観ていたのですが、新番組の「必殺仕掛人」の第1回だけは見ておこうと思ったのが運の尽きで、それきり、乗り換えてしまいました。
「必殺仕掛人」は、殺し屋が主人公で、依頼人に対して悪行の限りを尽くした悪の権化を、依頼人の人生と引き換えに、依頼を受けた仕掛人が暗殺するというストーリーの斬新さが話題にもなり物議を醸したものですが、本作はTV時代劇あるいはTVドラマとして、映画では味わえないリズム感を創造した点に他のドラマにはない面白さがあったのだと思います。
悪の権化に人生のどん底に突き落とされた依頼人が、身売り、破産等の己の人生と引き換えに百両は下らぬ仕掛依頼料を懐に、仕掛人元締めである音羽屋半衛門(山村聡が貫禄たっぷり)に悪の権化の殺しを依頼し、音羽屋が、針医者の藤枝梅安(緒方拳)と同僚のわけあり浪人である西村佐内(林与一)に仕掛けを命じるところまでは、行ってしまえば毎度お決まりのワンパターンストーリーでもあります。
しかし、本作はここから先の展開、即ち、
三隅研次と深作欣二の、アップ気味のシルエットに由来する光と影が交錯するシャープな映像、
地獄の底で弾けるようなベース音と、依頼人の暗黒の背景物語とは真逆の軽快な主題歌「荒野の果てに」(唄:山下雄三/曲:平尾昌晃)をバックに、
藤枝梅安の指の間に針を構えてから唇に挟み込むという、何ともかっこいい、従来にない様式的な殺陣と、西村佐内の歌舞伎調正当派の殺陣が美しく舞う仕掛けによって、
悪の権化の息の根を止めるところまでのプロセスを、
胸がわくわくするようなリズム感で一気に見せ切ってしまうところに、「木枯し紋次郎」を含めた従来の時代劇にはない、強いカタルシスを伴う何とも言えない爽快感があります。
この爽快感、「指令→ミーティング→仕掛け→任務達成」までのプロセスを、ラロ・シフリンの軽快な音楽と共に見せる、全体がリズミカルな音楽の体験とでもいえるような「スパイ大作戦」に共通するものがあります。
「必殺仕掛人」は「スパイ大作戦」を多分に意識しているものと思われます。
優れたTVドラマの多くは、このような観る者の音楽的生理に訴えることに成功しており、だから、毎回楽しみでもあり飽きがこないともいえます。
実際、田宮二郎主演の映画版「必殺仕掛人」も面白かったのですが、映画の横長の大スクリーンでは、TVサイズだからこその詰め込まれた密度の高いリズム感は生じ得ず、軍配はTV版に挙がると思います。
仕掛人たちは、仕掛けた後、決して後味が良いわけではなく、稼業がばれれば獄門磔の刑になるのは必定、日常には二度と戻れない精神的ストレスを金で解決するしかなく、依頼人の用意しなければならない金は、毎度、百両はくだらない額でありました。
依頼人の多くは、悪の権化に全財産をむしり取られたり体を奪われたりした挙句に依頼するのであり、百両の金は、さらに自分の人生と引き換えで工面するしかなく、仕掛人により悪の権化が倒されても、依頼人にとって何の救いもないままとなります。
この少なくとも百両という額の設定が、このドラマに強い説得力を与えています。
この設定は、脚本というよりは、原作のリアリティによるところが大きいのだと思います。
池波正太郎の原作を離れた「必殺仕掛人」の後継ドラマである中村主水シリーズは、同じ脚本家が執筆していたにも関わらず、依頼金額がわずか数両、ひどいときには小判1枚にも満たない依頼金額を、仲間で分け合うという設定で、そんな少額で命を張って仕掛などするわけないだろう、と突っ込みたくもなり、目を覆わんばかりにドラマの質が大きく低下します(「ムコ殿!」は面白かったですが)。
毎回の悪の権化も、遠藤辰雄、小池朝雄、金田龍之介、戸浦六弘、神田隆、内田朝雄、安倍徹といった、殺されて当然の悪役スター達の渋さも味わい深いですが、大友柳太郎、松橋登、小坂一也、近藤正臣といった、悪役とは縁がなさそうな俳優たちが嬉々として殺され役を引き受けているのもTVならではの面白さでした。
また、毎回のオープニングの睦五郎の渋さ全開のナレーション
「はらせぬ恨みをはらし、許せぬ人でなしを消す、いずれも人知れず仕掛けて仕損じなし、人呼んで仕掛人。ただしこの稼業、江戸職業づくしには載っていない。」
は、ハードボイルドの極みともいえ、このドラマのリズム感を決定づける絶品でありました。
「必殺仕掛人」もまた、現代劇、時代劇を問わず、TVドラマの1つの到達点であろうと思います。
(続く)
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