発明の認定における実験報告書の役割(その2)

「誘電体磁器事件」(侵害訴訟:平成26年(ネ)第10018号)


Ⅲ.「誘電体磁器事件」(審決取消訴訟:平成25年(行ケ)第10324号)について

 「誘電体磁器事件」(審決取消訴訟:平成25年(行ケ)第10324号)では、特許無効の証拠としての実験報告書の役割に関して興味深い判断がなされていました。

(1) 特許庁は、特定の組成、結晶構造及び物性を有する特許組成物に対して、

 特許組成物と同一の組成を有するが、結晶構造及び物性が明らかでない組成物(甲1発明)が記載される引用文献(甲1公報)を挙げ、

 引用文献に記載される試料の記載とその再現実験に基づく実験報告書により、

 特許組成物の結晶構造及び物性は当業者において想到容易である、として無効審決をしました。

(2) 裁判所(知財高裁)は、実験報告書の役割に言及した上で、この審決を取り消しました。

 裁判所は、まず、この引用文献に記載される組成物(甲1発明)が、進歩性を判断する際の引用発明(特許法29条1項3号にいう特許出願前に日本国内又は外国において頒布された刊行物に記載された発明に該当するか否かを判断します(以下、判決例の引用に際して、筆者が適宜改行、省略、下線付設及び強調をしました)。

「同号の「刊行物に記載された発明」とは,

 刊行物に明示的に記載されている発明であるものの,このほかに,

 当業者の技術常識を参酌することにより,刊行物の記載事項から当業者が理解し得る事項も,刊行物に記載されているに等しい事項として,

 「刊行物に記載された発明」の認定の基礎とすることができる。

 もっとも,本件発明や甲1発明のような複数の成分を含む組成物発明の分野においては,甲1発明のように,

 本件発明を特定する構成の相当部分が甲1公報に記載され,

 その発明を特定する一部の構成(結晶構造等の属性)が明示的には記載されておらず,また,

 当業者の技術常識を参酌しても,その特定の構成(結晶構造等の属性)まで明らかではない場合においても,

 当業者が甲1公報記載の実施例を再現実験して当該物質を作製すれば,

 その特定の構成(結晶構造等の属性)を確認し得るときには,

 当該物質のその特定の構成については,当業者は,いつでもこの刊行物記載の実施例と,その再現実験により容易にこれを知り得るのであるから,

 このような場合は,刊行物の記載と,当該実施例の再現実験により確認される当該属性も含めて,同号の「刊行物に記載された発明」と評価し得るものと解される(以下,これを「広義の刊行物記載発明」という。)。

 これに対し,刊行物記載の実施例の再現実験ではない場合

 例えば,刊行物記載の実施例を参考として,その組成配合割合を変えるなど,一部異なる条件で実験をしたときに,初めて本件発明の特定の構成を確認し得るような場合は,本件発明に導かれて当該実験をしたと解さざるを得ず

 このような場合については,この刊行物記載の実施例と,上記実験により,その発明の構成のすべてを知り得る場合に当たるとはいうことはできず,同号の「刊行物に記載された発明」に該当するものと解することはできない。」


 即ち、裁判所は、引用文献に一部の構成が明示されていない発明は、

 無条件に特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」とはいえないが、

 その一部の構成を、再現実験(に基づく実験報告書)により確認できる場合は、

 特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」として評価できる、

と判断し、そのような発明を「広義の刊行物記載発明」と名付けました。

 なお、その「再現実験」は、特許組成物に導かれてなされた(例えば、刊行物記載の実施例を参考として、一部異なる条件で実験をして、初めて本件発明の特定の構成を確認した)場合は、「再現実験」とはいえない、と釘を刺しています。

(3) 裁判所は、特許庁が挙げた引用文献に記載される試料の再現実験は、発明特定事項の物性を再現していないことと、特許組成物とは組成の一部が異なっていることを理由に、引用文献に記載された組成物は「広義の刊行物記載発明」とはいえない、として、特許庁の進歩性に対する判断に誤りがあるとし、審決を取り消しました。

(4) 本件は、無効審判に関する審決取消訴訟でしたが、並行して進んだ侵害訴訟では、同一の特許発明、当事者及び知財高裁裁判官であったにもかかわらず、実験報告書(再現した引用文献記載の発明)の相違によって結論が真逆になっていますので、以下に紹介します。


Ⅳ.「誘電体磁器事件」(侵害訴訟: 平成26年(ネ)第10018号)

A.経緯

 本件は、原告(特許権者)の請求を棄却した原審(平成24年(ワ)第13084号)の控訴審です。

 控訴人(原告)は、知財高裁に審決取消訴訟を提起しました(平成25年(行ケ)第10324号)。

 審決取消訴訟の対象となった審決で認められていた訂正は、本件口頭弁論終結時点において、未確定です。

B.本件訂正発明

 本件特許の訂正後の請求項1(以下「本件訂正発明」)の分説は次の通りです。

【請求項1】

A.金属元素として少なくとも稀土類元素(Ln:但し,Laを稀土類元素のうちモル比で90%以上含有するもの),Al,M(MはCaおよび/またはSr),及びTiを含有し,

B.組成式をaLn2OX・bAl2O3・cMO・dTiO2(但し,3≦x≦4)と表したときa,b,c,dが,

0.056≦a≦0.214 0.056≦b≦0.214

0.286≦c≦0.500 0.230<d<0.470

a+b+c+d=1

を満足し,

C.結晶系が六方晶および/または斜方晶の結晶を80体積%以上有する酸化物からなり,

D.前記Alの酸化物の少なくとも一部がβ-Al2O3および/またはθ-Al2O3の結晶相として存在するとともに,前記β-Al2O3および/またはθ-Al2O3の結晶相を1/100000~3体積%含有し,

E.1GHzでのQ値に換算した時のQ値が40000以上である

F.ことを特徴とする誘電体磁器。

C.関係する争点

 原審(平成24年(ワ)第13084号)では、本件訂正発明の無効理由の有無が争点になりました。

「 ア 本件訂正発明は本件優先日前に頒布された特開平7-57537号公報(以下「乙1公報」という。)に記載された発明(以下「乙1発明」という。)と同一であるか(争点2-1)

イ 本件訂正発明は当業者が乙1発明に基づいて容易に発明をすることができたものであるか(争点2―2)」

D.裁判所の判断

 知財高裁(設楽裁判長(第1部))は、本件訂正発明は乙1発明と同一であるから、本件特許は無効審判により無効にされるべきものであると判断しました。

D.1.対比

 知財高裁は、乙1発明について以下を認定しました。

 構成要件A、B、E及びFを備え(本件訂正発明との一致点)、

 構成要件C及びDを備えているか不明である(本件訂正発明と相違点)。

D.2.相違点についての検討

D.2.1.被控訴人による乙3報告書

 乙3報告書(特開平7-57537号公報記載の実施例検証試験報告書)は、

 乙1発明(乙1公報の図1の試料4及び5の実施例)を、

 その実施例に示された方法に従って再現したとする実験の報告書です。

「乙3報告書の実験で作製された試料の誘電特性(Q値)は,

 乙1公報の図1に記載のものとほぼ一致していることから,

 乙3報告書の実験は,乙1発明の上記実施例を再現した実験と認めることができる。

 この点,乙3報告書には,

① X線回折の結果及びSEM写真によれば,作製した試料は,斜方晶のCaTiO3結晶を有しており,その面積比率は95%以上であること,

② SEM写真によれば,作製した試料には柱状結晶が存在し,その面積比は,乙1公報の図1の試料4に相当する試料で0.34%,同試料5に相当する試料で2.84%であること,

③ EPMA分析の結果によれば,上記の柱状結晶は,マトリックスに比較して,Al2O3を多く含有するAlリッチの化合物であり,マトリックスの影響を除去したところ,柱状結晶には,Al以外にCa及びLaを含むことが分かったことが記載されている。

B.2.2.大学の教授による乙4報告書

 乙4報告書(依頼実験報告書(2))も、乙1発明の前記実施例を再現した実験の報告書です。

「乙4報告書には,

① 走査型電子顕微鏡写真(SEM写真)によれば,

作製した試料は,均一なマトリックスに板状又は柱状の第二相結晶が存在するものであり,第二相結晶の面積比は,乙1公報の図1の試料4に相当する試料で0.15%,同試料5に相当する試料で2.71%であること,

② 局部X線元素分析(EPMA組成分析)の結果によれば,マトリックスは均一な酸化物であり,第二相結晶はAlの酸化物が主成分で,Ca及びLaを少量含む化合物であること,

③ 粉末X線回折の結果によれば,主要構成相は,結晶系が斜方晶であり,第二相は,試料4に相当する試料では明瞭に現れなかったが,試料5に相当する試料ではβ-Al2O3構造を有する化合物の存在が確認できたことが記載されている。

B.2.3.被控訴人による乙37報告書

 乙37報告書(第二相結晶の回折像の同定について)には、

「乙4報告書の試料4に相当する試料について、

① 透過型電子顕微鏡観察によれば,マトリックス中に柱状の第二相微結晶が確認されたこと,

② 制限視野電子回折の結果の解析によれば,上記の第二相は,β-Al2O3の結晶構造を有する結晶相であることが分かったことが記載されている。」

B.2.4.小括

「以上によれば,乙1発明の実施品を作製したところ,いずれも,

 結晶系が斜方晶の結晶を80体積%以上有する酸化物からなるものであり,また,

 板状又は柱状の第二相結晶が存在し,その面積比(すなわち,体積比)は,1/100000~3体積%を満たすものが生成したことが認められる。そして,

 この第二相結晶は,EPMA分析の結果(乙3報告書,乙4報告書),粉末X線回折の結果(乙4報告書),制限視野電子回折の結果の解析(乙37報告書)によれば,β-Al2O3と認められるものである。

 したがって,乙1発明の前記実施例(乙1公報の図1の試料4及び試料5)は,いずれも本件訂正発明の構成要件C及び構成要件Dを備えていると認められる。」

B.2.5.広義の刊行物記載発明とそのあてはめ

 裁判所は、「誘電体磁器事件」(審決取消訴訟:平成25年(行ケ)第10324号)の場合と全く同様に「広義の刊行物記載発明」を定義し、以下のようにあてはめて、引用文献に記載された発明は「広義の刊行物記載発明」に該当する、と判断しました。

乙1公報には,上記実施例(乙1公報の図1の試料4及び試料5)である誘電体磁器について,その結晶構造(・・・構成要件C及びD)に関する明示的な記載はない

 しかし,乙1発明の上記実施例を再現実験して,誘電体磁器を作成すれば,

 その結晶構造については,当業者が確認し得る属性であり,・・・,

 当業者は,いつでもこの乙1公報記載の実施例と,その再現実験により,本件訂正発明の構成のすべてを知り得るのであり,

 このような発明は,同号の「刊行物に記載された発明」(広義の刊行物記載発明)に当たると解するのが相当である

 すなわち,上記・・・認定したとおり,乙1発明の上記実施例を再現実験して得られた試料は,結晶系が斜方晶の結晶を80体積%以上有する酸化物であり,また,板状又は柱状の第2相結晶が存在し,その面積比(すなわち体積比)は,1/100000~3体積%を満たすものが生成されており,そして,この第2相結晶は,β―Al2O3であることが認められるのであるから,当業者は,乙1公報記載の上記実施例と,その再現実験により,本件訂正発明の構成のすべてを知り得るものと認められる。

 以上によれば,乙1公報の上記実施例の記載中には,本件訂正発明の構成要件C及びDに係る構成(結晶構造)が明示的に記載されてはいないものの

 その結晶構造は,当業者が乙1発明の上記実施例を再現実験して誘電体磁器を作成すれば,確認し得る属性であるから,当業者からみれば,本件訂正発明は,乙1公報に「記載された発明」であると解するのが相当である。


(続く)

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