出願経過の参酌について「痴呆予防及び治療用組成物事件」
(侵害訴訟:平成26年(ネ)第10051号/平成24(ワ)24317号)
■■■出願経過の参酌と包袋禁反言の原則■■■
自社が実施しようとしている製品が、他社の特許権に抵触するかもしれないと心配に思うとき、
多くの場合、自社予定製品が、他社特許権に係る特許発明の技術的範囲に属するか否かを最初に検討します。
検討の結果、自社実施予定製品が、
他社特許発明の技術的範囲に属すれば、他社特許権に抵触する可能性が高く、
他社特許発明の技術的範囲に属さなければ、他社特許権を抵触しない可能性が高いことになります。
例えば、他社特許発明がアルカリ金属を含む組成物である場合を考えてみましょう。
自社実施予定製品がアルカリ金属に属するRbを含み、残りの構成が他社特許発明と同じであれば、
自社実施予定製品は、形式上、他社特許発明の技術的範囲に属してしまうことになり、
自社関係者がショックを受けてしまうことがあります。
このようなとき、他社特許が権利になるまでの審査又は審判の過程を調べてみます。
この過程で、他社が自ら権利範囲を狭めるような主張していた場合、他社特許発明の技術的範囲を狭く解釈してもよい場合があります。
例えば、この過程において、引用された公知刊行物との関係で、出願人が、
「出願発明の用途ではRbを公知刊行物の形態で使うことはない」
と意見書で説明して進歩性が認められて、出願発明が特許された場合、その意見書の説明を参酌して、
「その特許発明の技術的範囲は、Rbをその公知刊行物の形態で使うことは含まない」
と解釈できることがあります。
このように、出願又は審判の過程での権利化後の権利範囲の解釈に影響を与える事項を考慮して
特許発明の技術的範囲を解釈することを「出願経過を参酌する」といいます。
従って、上記の例では、
自社実施予定製品がRbをその公知刊行物の形態で使うのであれば、
他社特許の出願経過を参酌して、
自社実施予定製品は他社特許発明の技術的範囲には属さないと判断しえるといえます。
また、上記の例では、特許権者が侵害裁判で、
「Rbをその公知刊行物の形態で使うことは特許発明の技術的範囲に含まれる」
と主張することは、出願経過でした意見と矛盾するとして原則許されません
(これを「包袋禁反言の原則」といいます)。
今回紹介する判決例は、出願経過が参酌され、特許権者側の侵害差止請求が、
包袋禁反言の原則に反するとして認められなかったという事件です。
知財高裁の判決(平成26年(ネ)第10051号)は、
東京地裁の判決(平成24(ワ)24317号)と理由も含めてほぼ同じなので、
以下では、東京地裁の判決に沿って説明します。
なお、引用した部分は、筆者が適宜、下線を付し、省略し、下位行しています。
■■■事件の概要■■■
◀原告▶
特許第4350910号(以下、本件特許)につき、地域を日本全国,期間を本件特許権の存続期間中,
内容を全部とする専用実施権の設定登録を受けた、
健康食品・食品添加物・化粧品・化粧品原料・健康器具の輸入及び販売等を目的とする株式会社。
◀被告▶
健康食品事業及びサプリメントの研究・開発・販売等を目的とする株式会社。
◀事案▶
原告が、被告に対し、
被告が業として製造、譲渡、輸出、及びその譲渡の申出を行っている被告各製品は、
本件特許発明の技術的範囲に属しており、本件専用実施権を侵害するとして,
被告各製品の製造・販売等の差止め並びに被告各製品及びその半製品の廃棄を求めた。
◀本件特許発明▶
【請求項1】
A.フェルラ酸又はイソフェルラ酸であるハイドロキシシンナム酸誘導体又は
これの薬学的に許容される塩を痴呆の予防及び治療に有効量で含有する
B.痴呆予防及び治療用の
C.組成物。
【請求項2】
デクルシノールをさらに含有することを特徴とする請求項1に記載の組成物。
◀争点▶
被告各製品は本件特許請求項1に係る特許発明(以下、本件発明)の技術的範囲に属するか否か:
(1)構成要件Aの充足性;
(2)構成要件Bの充足性;及び
(3)構成要件Cの充足性。
■■■東京地裁の判断■■■
裁判所は、争点(3)だけを判断し、
被告各製品は本件特許権の本件特許発明の技術的範囲に属さない、と結論しました。
なお、本件特許請求項2に係る特許発明の技術的範囲への属否は争われていません。
◀「組成物」の意義▶
裁判所は、まず、構成要件Cの「組成物」の意義を検討し、
食品組成物である被告各製品が、構成要件Cを形式的に充足していると判断します。
「構成要件Cの「組成物」とは,そのうち「組成」が,「複数の要素・成分をくみたてて成ること。
また,その各要素・成分。」(広辞苑第5版)を意味することから,
複数の要素・成分から組み立てて成った物と解するのが相当と認められるから,
本件発明に関していえば,医薬組成物のみならず,食品組成物をも含む,
これらの上位概念であると認められる。
したがって,構成要件Cの「組成物」は,その用語の意義としては,食品組成物が含まれると解される。」
◀出願経過の参酌▶
裁判所は、次に、被告による、
「本件発明の出願経過に鑑みると,構成要件Cの「組成物」から食品組成物は除外されるべきであり,原告が上記「組成物」に食品を含むと主張することは包袋禁反言の原則に反して許されないところ,被告各製品は栄養補助食品(健康食品・サプリメント)であるから,構成要件Cの「組成物」に該当しない」との主張を検討します。
裁判所の説明は、出願経過を全て言葉で説明しているため理解し難いので、以下では、実際の審査過程を参照しながら説明します。
(1)出願時の本件特許出願の請求項
請求項 |
|
1 |
下記の化学式Iのハイドロキシシンナム酸誘導体又はこれの薬学的に許容される塩を含有する痴呆予防及び治療用の組成物であって、 |
2 |
前記化学式Iのハイドロキシシンナム酸誘導体がフェルラ酸又はイソフェルラ酸である請求項1に記載の組成物。 |
3 |
デクルシノールをさらに含有することを特徴とする請求項1に記載の組成物。 |
4 |
デクルシノールを含有する痴呆予防及び治療用の組成物。 |
5 |
化学式Iのハイドロキシシンナム酸誘導体又はデクルシノールを含むトウキ抽出物を含有する痴呆予防及び治療用の組成物。 |
6 |
前記トウキ抽出物がトウキの根茎を低級のアルコールで抽出して得たものであることを特徴とする請求項5に記載の組成物。 |
7 |
前記トウキが朝鮮トウキ(Angelica gigas
Nakai)、日トウキ(Angelica acutiloba Kitagawa)又は中国トウキ(Angelica sinensis Diels)であることを特徴とする請求項5又は6に記載の組成物。 |
8 |
下記の化学式Iのハイドロキシシンナム酸誘導体又はこれの食品学的に許容される塩を含有する痴呆予防及び治療用の食品組成物であって、 |
9 |
前記化学式Iのハイドロキシシンナム酸誘導体がフェルラ酸又はイソフェルラ酸である請求項8に記載の食品組成物。 |
10 |
デクルシノールをさらに含有することを特徴とする請求項8に記載の食品組成物。 |
11 |
デクルシノールを含有する痴呆予防及び治療用の食品組成物。 |
12 |
化学式Iのハイドロキシシンナム酸誘導体又はデクルシノールを含むトウキ抽出物を含有する痴呆予防及び治療用の食品組成物。 |
13 |
前記トウキ抽出物がトウキの根茎を低級のアルコールで抽出して得たものであることを特徴とする請求項12に記載の食品組成物。 |
14 |
前記トウキが朝鮮トウキ(Angelica gigas Nakai)、日トウキ(Angelica acutiloba Kitagawa)又は中国トウキ(Angelica
sinensis Diels)であることを特徴とする請求項12又は13に記載の食品組成物。 |
本件特許は、出願時は「組成物」の請求項1~7と「食品組成物」の請求項8~14で構成されていました。
このうち、請求項1及び4並びに請求項8及び11は、他の請求項を引用していない独立請求項です。
これらの出願時の請求項が、出願経過において、請求項1及び2が合体して本件特許請求項1となり、
請求項3が本件特許請求項2となり、他の請求項は消えてしまいます。
(2)拒絶理由通知
審査官は、出願時の請求項1~14に対して、
全請求項について、引用文献1~6に基づき新規性不備又は進歩性不備を、
請求項4~7及び請求項11~14について、単一性不備を指摘した拒絶理由通知をしました。
なお、単一性不備とは、ザックリとは、
請求項1~3及び8~10に係る発明は特定のハイドロキシシンナム酸誘導体を必須成分とするのに対して、
請求項4~7及び11~14に係る発明はデクルシノールを必須成分としており、発明として全く相違するので、
一つの出願で権利化できない(別々に出願しなければならない)ことを意味します。
審査官が不備を指摘しなかった項目を○、不備を指摘した項目を×として、審査結果を以下の表にまとめてみました。
各行に一つでも×があると、拒絶されるので、全請求項が拒絶されていることになります。
請求 |
カテゴリー |
引用文献1 |
引用文献2 |
引用文献3 |
引用文献4 |
引用文献5 |
引用文献6 |
単一 |
||||||
新規 |
進歩 |
新規 |
進歩 |
新規 |
進歩 |
新規 |
進歩 |
新規 |
進歩 |
新規 |
進歩 |
|||
1 |
組成物 |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
○ |
× |
○ |
○ |
○ |
2 |
組成物 |
○ |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
○ |
× |
○ |
○ |
○ |
3 |
組成物 |
○ |
○ |
○ |
× |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
× |
○ |
○ |
○ |
4 |
組成物 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
× |
5 |
組成物 |
○ |
○ |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
○ |
× |
○ |
○ |
× |
6 |
組成物 |
○ |
○ |
× |
× |
× |
× |
○ |
○ |
○ |
× |
○ |
○ |
× |
7 |
組成物 |
○ |
○ |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
○ |
× |
○ |
○ |
× |
8 |
食品組成物 |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
○ |
× |
× |
× |
○ |
9 |
食品組成物 |
○ |
○ |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
○ |
× |
× |
× |
○ |
10 |
食品組成物 |
○ |
○ |
○ |
× |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
× |
× |
× |
○ |
11 |
食品組成物 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
× |
12 |
食品組成物 |
○ |
○ |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
○ |
× |
× |
× |
× |
13 |
食品組成物 |
○ |
○ |
× |
× |
× |
× |
○ |
○ |
○ |
× |
× |
× |
× |
14 |
食品組成物 |
○ |
○ |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
○ |
× |
× |
× |
× |
引用文献6は後に重要な意味をもちますが、ここでは、引用文献6に対して、
請求項1及び2の「組成物」は、新規性・進歩性を有しますが、
請求項8及び9の「食品組成物」は、新規性・進歩性を有さないことだけ記憶しておいて下さい。
〔裁判所の認定〕
裁判所は、拒絶理由中の引用文献1を「引用文献1」、引用文献6を「引用文献2」と称しています。
以下、区別するため、
裁判所が使用する「引用文献1」を[引用文献1]、
裁判所が使用する「引用文献2」を[引用文献2]と表記します。
裁判所は、審査官は以下を指摘したと認定しています:
「①・・・[引用文献1]・・・には,クロロゲン酸が神経成長因子生合成促進作用を有し,
アルツハイマー病の治療に有用である旨記載され,また,
上記クロロゲン酸は食品に添加する旨記載されており,
上記請求項1及び8に係る発明は上記引用文献に記載された発明である」;
「②・・・[引用文献2]・・・の請求項1には,トウキのアルコール抽出物を含有する食品が記載されており,
トウキのアルコール抽出物はフェルラ酸及びデクルシノールを含有するものと認められるところ,
上記請求項8ないし10及び同12ないし14に係る発明の食品は,
「痴呆予防及び治療用」の食品であって,引用文献2にはこの点について記載がないとはいえ,
「痴呆予防及び治療用」なる記載を付加したことをもって,
本願発明の食品と上記引用文献記載の食品を区別することはできない」
そこで、出願人は以下のように補正しました。
(3)補正1
請求項 |
|
1 |
|
|
|
3→2 |
デクルシノールをさらに含有することを特徴とする請求項1に記載の組成物。 |
|
|
|
|
|
|
7→3 |
|
|
|
9→4 |
デクルシノールをさらに含有することを特徴とする請求項3に記載の食品組成物。 |
|
|
|
|
|
|
13→11 |
前記トウキ抽出物がトウキの根茎を低級のアルコールで抽出して得たものであることを特徴とする請求項10に記載の食品組成物。 |
14→12 |
前記トウキが朝鮮トウキ(Angelica gigas Nakai)、日トウキ(Angelica acutiloba Kitagawa)又は中国トウキ(Angelica
sinensis Diels)であることを特徴とする請求項10又は11に記載の食品組成物。 |
単一性不備を解消するために、独立請求項4及び11が削除され、
全ての請求項が特定のハイドロキシシンナム酸誘導体を必須成分とする組成にされ、
新規性・進歩性不備を解消するために、独立請求項である請求項1及び4並びに請求項7及び10における含有量を「痴呆の予防及び治療に有効量」に限定されました。
〔裁判所の認定〕
補正1と共に提出された意見書において、出願人は以下を主張したと認定しています:
「上記補正後の請求項1及び7について,記載成分が「痴呆の予防及び治療に有効量で」含有されていることを明確にした」;
「上記補正後の請求項1及び7に関して,[引用文献1]等がそれらの請求項におけるハイドロキシシンナム酸誘導体等の「痴呆の予防及び治療における有効量」について開示も示唆もしていない旨や,[引用文献2]が上記補正後の請求項7におけるハイドロキシシンナム酸誘導体等の「痴呆の予防及び治療における有効量」について開示も示唆もしていない」;
「上記補正後の請求項7について,同請求項は,上記補正後の請求項1の組成物を食品の形態にしたものである」。
(4)拒絶査定
審査官は、上記補正後の請求項に対して、単一性不備は指摘せず、
引用文献1、2、4及び6に基づく新規性不備又は進歩性不備が残っているとして、本願に対して拒絶査定をしました。
審査結果を以下の表にまとめました。
請求 |
カテゴリー |
引用文献1 |
引用文献2 |
引用文献4 |
引用文献6 |
||||
新規 |
進歩 |
新規 |
進歩 |
新規 |
進歩 |
新規 |
進歩 |
||
1 |
組成物 |
× |
× |
○ |
× |
○ |
× |
○ |
○ |
2 |
組成物 |
○ |
○ |
○ |
× |
○ |
× |
○ |
○ |
3 |
組成物 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
4 |
組成物 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
5 |
組成物 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
6 |
組成物 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
7 |
食品組成物 |
× |
× |
○ |
× |
○ |
× |
× |
× |
8 |
食品組成物 |
○ |
○ |
○ |
× |
○ |
× |
× |
× |
9 |
食品組成物 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
× |
× |
10 |
食品組成物 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
× |
× |
11 |
食品組成物 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
× |
× |
12 |
食品組成物 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
× |
× |
請求項3~6は全て○となっており拒絶理由が指摘されていませんので、審査官は
「請求項3-6に係る発明については、現時点では、拒絶の理由を発見しない」
と指摘しています。
ここで留意すべきは、本願発明は、
請求項2の組成物は、引用文献1及び6に対して新規性・進歩性を有しているのに対し、
請求項8の食品組成物は、引用文献1に対して新規性・進歩性を有していても、
引用文献6に対しては新規性・進歩性を有していないことです。
請求項2と請求項8は、「組成物」と「食品組成物」とが異なる以外は同一内容なので、
もし、請求項2の「組成物」が「食品組成物」を含んでいれば、
引用文献6に対して新規性・進歩性を有さないと指摘されるはずです。
言い換えると、「請求項2は食品組成物を含まない」と考えないと、
「請求項2は、引用文献6に対して新規性・進歩性を有する」ということができないように思います。
引用文献1には食品組成物が開示されていると審査官に指摘されていますが、
フェルラ酸又はイソフェルラ酸が開示されていないので、
フェルラ酸又はイソフェルラ酸を含む請求項2及び請求項8は、
引用文献1に対して新規性・進歩性を有していると考えられます。
引用文献6には食品組成物とフェルラ酸又はイソフェルラ酸とが開示されているため、
食品組成物とフェルラ酸又はイソフェルラ酸とを含む請求項8は、
引用文献6に対して新規性・進歩性を有さないと考えられます。
以上を、表にまとめると以下のようになります。
請求項 |
引用文献1:○は含む、×は含まない |
引用文献6:○は含む、×は含まない |
|||||
非食品用途 |
食品用途 |
フェルラ酸又は |
非食品用途 |
食品用途 |
フェルラ酸又は |
||
○ |
○ |
× |
× |
○ |
○ |
||
2 |
組成物 |
○ |
× |
○ |
○ |
× |
○ |
新規性・進歩性 |
あり |
あり |
|||||
8 |
食品組成物 |
× |
○ |
○ |
× |
○ |
○ |
新規性・進歩性 |
あり |
なし |
〔裁判所の認定〕
裁判所は、拒絶査定において、審査官は以下を指摘したと認定しています:
「①[引用文献1]にクロロゲン酸がアルツハイマーの治療に有用であることが記載されているに等しく,
上記補正後の請求項1及び7に係る発明は,上記引用文献に記載された発明である」;
「②[引用文献2]も上記補正後の請求項7ないし12に係る発明も,ともに食品として利用されるものであり,
「痴呆の治療及び予防」なる記載を付加したことをもって
本願発明の食品が食品として新たな用途を提供するものとはいえない」。
そこで、出願人は、拒絶査定不服審判を請求して、以下のように補正しました。
(5)補正2
請求項 |
|
1 |
|
|
|
3→2 |
デクルシノールをさらに含有することを特徴とする請求項1に記載の組成物。 |
|
|
|
|
|
|
7→3 |
|
|
|
9→4 |
デクルシノールをさらに含有することを特徴とする請求項3に記載の食品組成物。 |
|
|
|
|
|
|
出願人は、請求項2の構成を請求項1に、請求項8の構成を請求項7に組み込み、
化学式と他の請求項を削除しました。以上を整理すると以下のようになります。
請求項 |
|
1 |
フェルラ酸又はイソフェルラ酸であるハイドロキシシンナム酸誘導体又はこれの薬学的に許容される塩を痴呆の予防及び治療に有効量で含有する痴呆予防及び治療用の組成物。 |
2 |
デクルシノールをさらに含有することを特徴とする請求項1に記載の組成物。 |
3 |
フェルラ酸又はイソフェルラ酸であるハイドロキシシンナム酸誘導体又はこれの食品学的に許容される塩を痴呆の予防及び治療に有効量で含有する痴呆予防及び治療用の食品組成物。 |
4 |
デクルシノールをさらに含有することを特徴とする請求項3に記載の食品組成物。 |
出願人は、さらに続いて以下の補正を行いました。
(6)補正3
請求項 |
|
1 |
フェルラ酸又はイソフェルラ酸であるハイドロキシシンナム酸誘導体又はこれの薬学的に許容される塩を痴呆の予防及び治療に有効量で含有する痴呆予防及び治療用の組成物。 |
2 |
デクルシノールをさらに含有することを特徴とする請求項1に記載の組成物。 |
|
|
|
|
出願人は、食品組成物の請求項を完全に削除してしまいました。
〔裁判所の認定〕
裁判所は、この補正において、出願人は以下を主張したと認定しています:
「①引用文献1には,フェルラ酸又はイソフェルラ酸がアルツハイマーの治療に有用であることは
記載されておらず,本件発明は引用文献1に記載された発明ではない」;
「②上記請求項の削除により,上記補正後の請求項7ないし12に係る発明が引用文献2に記載された発明である
との拒絶理由は解消された」。
裁判所、さらに以下を指摘しました。
「本件特許権者は,上記請求項の削除をしたとはいえ,
本件明細書等の段落【0006】,【0025】及び【0026】の記載を出願当初のままとし,
また,本件発明の「組成物」の意義に関して何ら主張しなかった」。
(7)特許査定
補正3の請求項1及び2に対して、特許査定がなされました。
◀包袋禁反言の原則の適用▶
裁判所は、以上の出願経過を参酌して以下の認定を行いました。
なお、裁判所が指摘する請求項の番号を、筆者が補正1の請求項番号に統一しました。
変更後の番号に下線を付しています。
(1)認定1
「本件特許の出願経過,特に,
本件特許権者が,・・・拒絶査定における拒絶理由を受けて,
・・・「食品組成物」クレームである・・・補正後の請求項7ないし12・・・を削除した補正の経過に鑑みると,」
「本件特許権者は,・・・補正後の請求項7ないし12・・・を,
・・・「組成物」クレームである・・・請求項1ないし6・・・とは別途に,かつ,
・・・「組成物」クレームの用途である「痴呆予防及び治療用」と同じ用途の発明として出願し,
前者の請求項(「食品組成物」クレーム)には「食品学的に許容される塩」と,
後者の請求項(「組成物」クレーム)には「薬学的に許容される塩」と記載していたこと」
(2)認定2
「本件特許権者は,・・・補正後の請求項7ないし12・・・について,
特許庁審査官から,当該請求項に係る発明は,食品として新たな用途を提供するものではなく,
健康食品の発明である[引用文献2]に対して新規性を有しないとして拒絶査定がされたことを受け,
その対応として当該請求項を全て削除し,その結果,特許査定がされたものであること」
「以上の出願経過に鑑みると,特許庁審査官は,
・・・補正後の請求項1ないし6・・・記載の発明は,
その文言が単なる「組成物」であってもそれが医薬組成物に係る発明であることを前提とし,また,
・・・請求項7ないし12・・・記載の発明は食品組成物に係る発明であることを前提とした上で審査し,
・・・請求項1ないし6に係る発明について[引用文献2]を適用して新規性を有しないとはしない一方で,
・・・請求項7ないし12に係る発明については,[引用文献2]との関係で新規性を有しないとして
拒絶査定をすると、
・・・特許権者が当該請求項を全て削除する補正をしたことから,
本件発明がもはや食品組成物に係る発明を含まない医薬組成物に係る発明であることが明らかになり,さらに,
「フェルラ酸又はイソフェルラ酸である」との記載を追加する補正により,
引用文献1との関係でも新規性が肯定できるとして,
本件発明について特許査定をしたものと認められ,
・・・特許権者においては,かかる特許庁審査官の認識を前提に対応して,
前記・・・補正を経て本件発明の特許査定に至ったものと認められる。」
(3)認定3
「本件発明は,
痴呆「予防『及び』治療用の」組成物であると記載されるところ,
食品は治療の用途で用いられるものではないから,
痴呆の予防のみならず「治療用の」組成物でもあるとした上記記載の組成物は,
食品組成物ではなく,医薬組成物であると解するのが自然である。
そうすると,上記出願経過を経て,特許査定がされた本件発明において,
原告が,構成要件Cの「組成物」になお,食品組成物が含まれると解されるとして,
被告各製品が本件発明の技術的範囲に属すると主張することは,
禁反言の原則により許されないと解するのが相当である。」
■■■考 察■■■
裁判所は、被告製品が、本件特許発明の技術的範囲に形式的の属していたとしても、
出願経過において、拒絶理由を解消するために特許権者自らが削除した請求項に相当する被告製品に
権利行使することは許されないとして、
特許権者に対して、包袋禁反言の原則を適用しました。
このように、侵害被疑者の立場になった場合は、相手方特許権に係る特許発明の技術的範囲を、
特許請求項の文言だけを解釈するのでなく、出願経過も丁寧に確認することが必須の作業となります。
逆に、特許権者の立場からは、包袋禁反言の原則を適用され難いように、出願を権利化し、
特許請求項を訂正する努力が必要となります。
以上の観点から、本件について筆者が気の付いた点をまとめました。
◀請求項の構成に関する留意事項▶
本件特許の出願明細書の(発明の要旨)(段落0006)に、
「本発明の目的は、痴呆予防及び治療用の薬学組成物を提供することである。
本発明のさらに他の目的は、痴呆予防及び治療の効果が有る機能性食品組成物を提供することである」
と記載されているように、本件特許出願は、薬学用途と食品用途での権利化を想定しつつ、
出願当初の請求項1は、薬学組成物と食品組成物の上位概念の「組成物」を特定しているので、
この「組成物」は「薬学用途」と「食品用途」のどちらも確信的に含ませていたと考えられます。
しかし、出願明細書における技術的事項の説明は専ら薬学組成物についてでした。
食品組成物については、薬学組成物を食品に添加できること、
食品の例示列挙、及び薬学組成物の場合に準拠した食品中の公的含有量を簡単に記載しただけで、
食品用途も一応記載しておいた、という立ち位置だったようにみえます。
通常は、上位概念請求項に対して下位概念請求項を設ける場合、
下位概念請求項を上位概念請求項よりも特許性が高い内容にして、
少なくとも下位概念請求項の権利化を確保するという出願戦略を立てます。
本件特許出願では、
開発段階であまり検討した様子のない(決して特許性が高いとは見込んでいなかった)下位概念請求項が
設けられました。
このような下位概念請求項は、かえって出願発明全体の権利化の足を引っ張り、
下位概念請求項の権利化の断念に追い込まれ易く、その結果、
包袋禁反言の縛りを受けやすくなると思われます。
従って、特許出願に当たっては、特許性が高いとはいえない下位概念(本件の場合は食品組成物)の請求項
を立てず、特許性が高いと見込まれる下位概念(本件の場合は薬学組成物)の
請求項を立てた方がよいと思います。
このように請求項を構成した上で、薬学組成物を確実に権利化して、
食品組成物の権利化がどうしても必要であった場合は、
品組成物を分割出願するようにするという選択肢もあったように思います。
◀権利化後における留意事項▶
本件訴訟で、原告は、
「本件発明は削除した請求項と何ら従属関係がなく,拒絶査定において拒絶の対象とされたものではなく,
原告が本件発明の内容から食品の構成を除外するかのような主張をしたことはないから,
被告各製品のような食品であっても,構成要件Cの「組成物」に含まれる」と主張しています。
この主張は、「・・・から」までの理由部分は確かにその通りなのですが、
拒絶査定の内容には、請求項2及び8と引用文献1及び6の関係を整理した表の関係があるため、
「「請求項2は食品組成物を含まない」と考えないと、
「請求項2は、引用文献6に対して新規性・進歩性を有する」ということができない」
という論理が立ちはだかるように思います。
従って、原告の主張を通すには、原告は、食品組成物の請求項の削除によって、
引用文献6に対して、
「新規性・進歩性が主張できない」請求項8レベルの上位概念の食品組成物の権利を放棄したが、
引用文献6に対して、「新規性・進歩性が主張できる」請求項8よりも下位概念の
食品組成物の権利までをも放棄したわけではない、と主張し、
例えば、本件発明を、訂正審判で、被告各製品の食品を含み、食品組成物が含まれているとしても、
引用文献6によって新規性・進歩性が損なわれない下位概念に限定する訂正を行うことが考えられます。
なお、このような考え方はあまり議論されていないと思いますので、
興味のある方のご意見もお聞きしたいと思います。
(以上)
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